2015年12月11日金曜日

2015.12.6 低い心、平和への道

◆(イザヤ60:1-7、ルカ福音書1:67-80)
道をふみはずしたことへの赦しは、人の痛みを知る神の心によるもの。
この神の心によって、天空のあけぼのの光は私たちを訪れ、
暗闇と絶望にしゃがみこんでいた私たちを照らし出し、
私たちの歩みを平和に向けてまっすぐにしてくださるのだ。
(本田哲郎訳:ルカ1章78-79節)
 クリスマスソングの季節。コンビニや公共施設のBGM。第九の合唱も間近です。ヘンデルのメサイヤは心を洗います。クリスマスコンサートをする教会もあります。
 意外な歴史を知りました。1785年にヘンデル生誕百周年を祝う演奏会が何度も行われていたとき、英国国教会牧師ジョン・ニュートン(アメージング・グレイス作者)は、メサイヤがブレイクしていることに疑問を感じ、歌詞に沿った50回の説教をしました。
 オラトリオという手法で"聖書"が人々に近づいたことは良かったのですが、演奏を楽しんでいる多くが、歌詞である"みことば"を深く味わう事がなく、歌詞によって語りかけられたイエスの声、聖霊の声を聞こうとしていないと感じたからだと。
 50回目の説教では「このオラトリオを何回も聞いた多くの人が、贖い主の愛に気づいておらず、主の命令に従うように導かれていないことに深い憂慮を感じている」と述べたそうです。
 メサイヤ冒頭の「慰めよ、慰めよ」はイザヤ書40章のみことばです。神に背を向けて堕落し続けたエルサレムが、今や神の懐に帰るように招かれている。その説教を語る牧師ニュートンの心には「驚くべき恵み、なんと胸をときめかす音の響きか。私のような無頼漢さえも救いたもうとは。私はかつて失われていたのですが、今や神に見いだされ、かつて目が見えなかったのですが、今や見ることが出来ます」と、かつての生きざまと神の赦しの招きが重なっていたに違いないと思います。
 ところで「御前に正しく生きてきた」祭司ゼカリアは、天使の前で、ここぞと言う場面で神の真実を信じられませんでした。けれども10ヶ月(子どもの誕生まで)の沈黙を強いられた後、聖霊に満たされて、神の預言がほとばしるように口から出てきたのです。
 「ほめたたえます。イスラエルの神、主を。主はその民を訪ねてくださり、代価を払って開放して下さった。敵の手から救い出された私たちが、恐れなく主に仕えることができるため、生涯、主の前で敬虔に、開放をめざして生きることができるため」
 ゼカリアがしゃべれなくなったのは神による強制です。しかしこの沈黙を過ごしたことによって低い心が得られたのです。
 水が低いところへ流れるように、神の恵みも低い心に注がれます。聖霊によって示された神との平和(和解)を受け入れ、沈黙してみことばを待ち、そして生きている限り主に従いたい。

2015年11月7日土曜日

2015.11/1 復活の主につながる人々

◆(ヨブ記19:25-27、ローマの信徒への手紙5:1-5)
 この確かさ(希望)は当て外れと言うことがありません。私たちが頂いている聖霊の働きによって、人を大切にする神の思いが、すでに私たちの心に注がれているからです。
 (本田哲郎訳:ローマの人々への手紙5章5節)
 11月第1日曜は「聖徒の日」。初代教会以来、弾圧の中で弟子や信徒たちの殉教が続き<聖ペトロの日>とか<聖アンデレの日>また<聖バレンタインの日>などとして殉教日を個々に記念しましたが、5世紀頃には、それらがまとめられ「万聖節」となったそうです。
 「聖」とは「神のために分けた」の意味で、「聖徒」は神に愛され神を愛して信仰に殉じた信者のことです。この日は永眠者記念日とも呼びますが、信仰者の死は永眠ではありません。やがて必ず勝利の復活をさせて頂けると信じているからです。
 さて使徒パウロは「私たちはイエス・キリストにより神に対して平和を得ている」と証言しました。この平和は本来の正しい関係、命のつながりのことです。
 誰でも相手に咎めることがあると、平気な顔をして一緒にいても内心は穏やかでいられません。ちょっとしたきっかけで相手にひどい言葉をぶつけてしまうことがあります。平和・安心のない状態です。どちらかが解決の糸口を切り出さねばなりませんが、たいがい「まず相手が謝ってくるべきだ」と思っていないでしょうか。
 人間と神との関係も似ています。この平和でない状態が「罪」です。聖書は人間は神の「似姿」として「命の息」を吹き入れられて「生きた」者として創造されたと教えます。神と交われる本質(例えば祈り心)を備えています。ところが、仕事や生活が順調なときには「神の助けはいらない」と思い、失敗や理不尽な出来事に「神も仏もあるものか」と、両極端な姿を自覚できません。その繰り返しも「罪」です。
 「このように、私たちは信仰によって義とされた」これは、神に敵対し神を悩まし続けたパウロ自身が、イエス・キリストに出会い、十字架の赦しに執りなされて神との平和、本当の絆、決して奪われない「希望」を知った喜びの叫びなのです。
 信仰のためにかえって苦労が増える場合もあります。けれども、信仰の先輩たちは苦しみや艱難さえも恵みと知る「価値転換」を経験しました。神から注がれる愛、聖霊が確信させる希望を仰いで「聖徒」として歩み続けた幸いな人々なのです。

2015年10月26日月曜日

2015.10/25 イエス、すべての人の主

◆(イザヤ50:4-11、使徒言行録10:34-43)
 イエスは、ご自分が神によって定められた、生きている人と死んでいる人の裁き手であることを、イスラエルの民に宣べ伝え、はっきりと証しするようにと、私たちに命じました。(本田哲郎訳:使徒10:42)
 「イエスはすべての人の主、支配者」と真心から信じる人は幸いです。生きている時も死んだ後も、イエスがこの私をご自分のものとして責任をもって扱って下さると確信していれば、悪魔の支配から解放され、どんな困難なことが起こっても主を信頼して耐え抜くことができ、聖霊が永遠の命を保障して下さるので、主のために心を込めて仕え、喜びながら一生を終えることが出来るからです。
 ハイデルベルク信仰問答の第1問は「生きている時も、死ぬ時も、あなたの唯一の慰めは何ですか」とあります。その要約が上の挙げた内容です。129の問答集は、五百年前、ルターによってはからずも引き起こされた「信仰の覚醒」のうねりが人々を聖書へ導いた一方で、信仰理解のぶつかり合いが起こりました。その中で徹底的に聖書に基づいて「カテキズム・教理」を提供しようとした努力の結晶がハイデルベルク信仰問答です。
 カテキズムは「ひびく=ある人の耳に伝える」という意味があります。イエスがご自身の信仰と生き様から示された「神のことば」を、私たちの魂に響くように伝える人や方法が必要でした。
 イエスはユダヤ人を中心に神のことばを伝えました。しかしユダヤ人以外にも自由な態度で対応されていたのです。ペトロは幻で示されなかったらユダヤ人以外とは「けがれた民」として交流しなかったでしょう。しかし幻で示されてコルネリウスのもとに出かけ、彼の真心を知ったとき「すべてのことが、今はっきりと分かりました」と「全世界へ出て行って」というイエスの意思として確信したのです。
 本当の神さまを知らないこの世界で、神を信じて静かに礼拝するには、信仰者を守る砦が必要かも知れません。しかし、閉じこもっているだけの信仰者を神は望んでおられません。教会に退いて沈黙の祈りの中で神のみ声を聞き、家庭や地域に、あるいは悪魔に支配されているような外の世界に出て行って、神のことばと御業を証しする人を神は必要とされています。
 内村鑑三は青年たちに熱い思いを語っています。「それならば最大遺物とはなんであるか。私が考えてみますに人間が後世に遺すことのできる、ソウしてこれは誰にも遺すことのできるところの遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。それは何であるかならば勇ましい高尚なる生涯であると思います。これが本当の遺物ではないかと思う。他の遺物は誰にも遺すことのできる遺物ではないと思います。しかして高尚なる勇ましい生涯とは何であるかというと、私がここで申すまでもなく、諸君もわれわれも前から承知している生涯であります。すなわちこの世の中はこれはけっして悪魔が支配する世の中にあらずして、神が支配する世の中であるということを信ずることである。失望の世の中にあらずして、希望の世の中であることを信ずることである。この世の中は悲嘆の世の中でなくして、歓喜の世の中であるという考えをわれわれの生涯に実行して、その生涯を世の中への贈物としてこの世を去るということであります。その遺物は誰にも遺すことのできる遺物ではないかと思う。」これは、1894年7月、内村33歳、第一高等中学校をいわゆる「不敬事件」で追われ、キリスト教界からも疎外されて、貧苦の内に妻を亡くした直後に「後世への最大遺物」と題して語られた講演の結論部分です
 私たちは招かれた幸いと、派遣される幸いの二つの恵み、それを活かす務めを頂いています。

2015年10月24日土曜日

2015.10/18 神の前に進み出よう

(ミカ書6:6-8、使徒言行録10:23b-33)
 今私たちは、みな神の前にいることを自覚しつつ、主があなたに命じられた事を全て聞かせて頂こうとここに集まっています。(本田哲郎訳:使徒10:33)
 十戒に「安息日を心に留め、これを聖別せよ」とあります。ユダヤ人は土曜日を安息日として厳守し、教会では日曜を主の復活に結ばれる祝日として心に留めています。
 そもそも十戒は、エジプト文明にどっぷり浸かって奴隷根性に成り下がった民を、「神の前に礼拝し、みことばに聴く」信仰の民に再生するガイド(手引)なのです。
 私たちは、大切なものを壊されたり失ったりしたとき、初めてかけがえのないものだったことに気づきます。失って初めて「何とかならないか」と渇望するのです。
 私たちを愛される神は「みことば」を何度も何度も語りかけます。これにどう応えるか、ペトロとコルネリウスに示された「みことば」と彼らの応答に学んでいます。
 「イエスは、これを思う人々を呼び寄せ・・・使徒と名付け」たように、不思議な基準で人が選ばれます。ユダヤ人ペトロとイタリア人コルネリウスがそれです。二人はそれぞれ幻の中で「みことば」を聞き、コルネリウスはヤッファへ3人の使者を送り、ペトロはその外国人3人を受け入れ、翌日カイサリアに出発しました。
 コルネリウスはユダヤを占領するローマ軍の士官です。その気になればどうにでも人々を扱える立場です。ところが彼は「信仰篤く、絶えず祈り、家族揃って神を畏れていた人で、ユダヤ人を保護し援助を惜しまない」百人隊長でした。どこかで誰かを通して神を信じる人にされていたのです。そのために幻の中で「シモンという人を招け」と命じられた時、何か大切な事があるのではと、心が準備されたのです。
 コルネリウスは家族や親族だけでなく親友を招いてペトロを待ちました。ペトロを見ると足下にひれ伏し拝みました。それ程ペトロは大切な使者でした。
 しかし人間を拝むことは信仰的な無知でした。ペトロはこの真剣さに驚きつつも「私も、あなたと同じ人間ですよ。さあ、立って下さい」と、笑顔で話しながら家に入りました。
 お互いに何があったのか、自己紹介し、それで神が働かれたことが分かりました。コルネリウスは「さあ、主があなたに命じられたことを、残らず聴かせて下さい」と敬意をもって申し出たのでした。それこそが、新しい人の誕生する瞬間です。

2015年10月15日木曜日

2015.10/11 神に清められた人

◆(エレミヤ1:4-8、使徒言行録10:9-23a)
 さあ、下へおりて、その人たちといっしょに行きなさい。かれらをつかわしたのはわたしだから、少しもためらう必要はない。(本田哲郎訳:使徒言行録10:19)
 想定外のことが起こります。何度誘われても断り続けたのに、出席するはめになり、そこで新しい方向へ導かれ、夜更かし寝坊の私が、早天祈祷を始めたのです。
 個人の習慣はまだしも、宗教性の強い民族、国民のタブー(禁忌)は強固です。ユダヤやイスラムの食べ物に関する掟は代表例です。両方とも旧約聖書の掟から生まれた宗教ですが、独自に規定が発達し、どこに住んでいても厳しく要求されています。
 へブライ語ではカシュルートと言い「正しい、適正な」を意味します。日本でもコシェルとして扱う店が増えているそうです。食材の種類や処理方法が正しいかどうか、資格のある宗教家が認定して市場に出すのです。「けがれた物を食べないように」と。
 日本人は何でも食べるのですが、ケガレ思想は根強くあり、死体をけがれと信じたり死を恐れます。社会的には部落差別、障害差別、女性差別としても表面化します。
 主イエスはパリサイ人に「外から人の中に入る物で人をけがすことが出来るものは何もなく、人の中から出てくるものが人をけがすのである(マルコ7:14-15)」と、彼らが差別した人々と普通に交わることで、彼らの間違った教えや態度を批判されました。
 ペトロはヤッファの「皮なめし職人シモン」の家の客人でした。皮なめしもケガレ職業とみなされていたので、ペトロはある程度はタブーから自由だったようです。けれども、幻を見たとき「それは食べられません。けがれた物は一度も口にしたことはないのです」と天の声をすぐには受け入れられませんでした。そこに伝統的なユダヤ人の価値観が出ています。拒むペトロに「神が清めた物を清くないなどと言ってはならない」とのお告げが3回もあり、今のは何だったのか考えあぐねてしまいました。
 そこに、コルネリオからの使者が訪ねて来たのです。彼らはイタリア人で、一人は軍服を身に着ていました。割礼を受けない異邦人です。幻の声は命じました。「ためらわず(差別せず)、一緒に行け。私がよこしたのだ」と。新しい一歩の始まりです。
 あの人だけは勘弁だという相性の悪い人がいるかも知れません。しかし、その人も「神が愛して清くされた人」だと思ってみたらどうでしょう。世界が変わるのです。

2015年10月10日土曜日

2015.10//4 あなたの祈りは届いている

◆(列王上8:54-61、使徒言行録10:1-8)
 あなたの祈りと、あなたが人の痛みを知って自分のものを分かち合っていることは、神の前に届き、心に刻まれた。(本田哲郎訳:使徒言行録10:4)
 「啐啄そったく同時」という禅語があります。雛が内側から殻を突いて音をたてることを「啐」、すかさず親鳥が啄(ついば)んで殻を破ることを「啄」と言うそうです。それが同時に起こると雛の誕生です。そんな瞬間を見たことはありませんが、養鶏舎の鶏は卵を温める機会がありませんから、本能はどうなってしまうのか心配です。
 カイサリアにコルネリウスという名の人がいたと聖書は告げます。彼は①イタリア部隊(コホルス600人)の隊(センチュリア100人)長、②信仰篤く、③一家揃って神を畏れ、④民に多くの施し(惜しみない行為)、⑤絶えず神に祈っていた。ずいぶん詳しい紹介です。カイサリアは古い港町で、ローマ帝国が総督を常駐させるほどの拠点でした。
 キリスト教はユダヤ教の信仰共同体から生まれました。聖書の実践や習慣も組織のあり方もユダヤの伝統を引き継いでいます。9章までの話は、ユダヤ人共同体での話ですが、10章から「そろそろ、外国人にも伝道しよう」というのではありません。
 コルネリウスには祈りの時間があったようで、おそらくユダヤ人のように、9時12時3時の3回。
3時の祈りの時、天使が祈りの部屋に入ってくるのを幻に「はっきり」見ました。しばらく見つめていましたが、ハッと恐ろしくなり「主よ、何でしょうか」と聞きます。天使は「あなたの祈りと、あなたが人の痛みを知って自分の物を分かち合っていることは、神の前に届き、心に刻まれた」「今すぐ、ヤッファに人を送り、ペトロを呼ばれるシモンと言う人をこちらに寄こさせなさい・・(本田哲郎訳)」と。
 1549年ザビエルが鹿児島に、1846年ベッテルハイムが琉球に、1859年リギンズ、ウイリアムズ、フルベッキが長崎に、ヘボンが横浜に上陸し日本に福音を伝えました。それから150年以上。(1877年、長沢弥左衛門らに応え、コーレル宣教師が松本に)。
 本日は世界宣教日。私たちの教会も世界各地に伝道者、奉仕者を送り出しています。「たゆみない祈りと惜しみない提供」があるなら、必ず神に届きます。もし、自分のためでなく、人の必要を覚えて祈るなら、(まだ知らぬ)隣人も祈って下さっています。

2015年9月28日月曜日

2015.9/27 嘆きが大きな喜びに

◆(列王下4:32-37、使徒言行録9:36-43)
 彼女はいつも親身になってかかわる人で、痛みを知って分かち合う人だった。
 (本田哲郎訳 使徒9:36)
 タビタは女弟子として「善い行いや施し」に励みました。「人にしてもらいたいことを人にもしなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすればたくさんの報いがあり、いと高き方の子となる(ルカ6:27-36)」と言われたイエスの言葉を実行し、とりわけ未亡人に尽くした人として紹介されています。
 9章には3つの「驚くべき事」が記されています。イエスを信じる人々を滅ぼそうとしたサウロが回心して伝道者となったこと。ペトロにより中風の人が元気になったこと。死人が生き返ったことです。イエス(の霊、名)によって人は、驚くべき奇跡の当事者になる、という話です。
 タビタのような人が教会にいる。それは素晴らしいことですが、愛すべき人と言えども、必ず死ぬ時がやってくるのです。教会の仲間は遺体を洗い、屋上の間に寝かせました。その後で香油を塗り亜麻布で包んで葬るのです。ところが近くの町リダにペトロ先生が滞在されていると聞いて「弟子たち」は、急いで二人を使いに出しました。
 ペトロが到着すると、かの未亡人たちがタビタがどんなに善い人だったかを泣きながら訴えました。しかし、それは思い出に過ぎないのです。
 意外なことにペトロは皆を追い出して一人になり、跪いて祈りました。奇跡の経験は何度もあります。しかし今回は特別です。死んでいるのです。ペトロはひざまづいて(これは礼拝の姿勢です)神の答えを待ちました。そして遺体に向かい「タビタ、起きなさい」と呼びかけました。
 かけがえのない人が亡くなると、悲しみと同時に、不思議な怒りを感じるものです。この死は理不尽である。この人だけは生かして欲しい、死んでいいはずがないと。
 アルフォンス・デーケンという上智大学の先生が「よく生き、よく笑い、よき死と出会う」という本で、思春期の衝撃的で悲しい出来事を振り返り、それらが「死生学」を志す遠因になったと語ります。4歳の妹の死。連合軍の戦闘機に狙われ九死に一生を得たこと。ドイツの敗戦が決定的になったころ、家を接収しにきた連合軍兵士を白旗で迎えに出た祖父が突然彼らに銃撃されて死んだこと。敬虔なカトリックの家に生まれ「汝の敵を愛せ」という教えで育ったアルフォンス少年の信条が打ち砕かれます。けれども短い時間とはいえ悩み抜き、祖父を殺した兵士たちに「ウェルカム」と手を差し出して家に迎え入れたのです。
 死に向き合い、死の深い意味を求めるとき、突然、生かされている意味が示され、しみじみとした喜びに浸ることが出来るのです。

2015年9月25日金曜日

2015.9/20 今日、生かされている

(イザヤ38:16-20、使徒言行録9:32-35)
 命ある者、命ある者のみが、今日の、わたしのようにあなたに感謝し、父は子に、あなたのまことを知らせるのです。(イザヤ38:19)
 何年も床から出られない生活は、若かろうと、年老いていようと残酷な現実です。アイネアは「中風で8年前から」とあるので、他人の手を借りなければ食べることも排泄もままならなかったに違いありません。8年前とは8歳の時からとも解釈できる表現です。
 巡回伝道中のペトロはリダという街道町でクリスチャンの群れの中に彼を見つけました。この時、誰も「治して欲しい」とは言っていませんが、ペトロはいきなり「アイネア、イエス・キリストが癒やして下さる。起きなさい」と声を掛けました。すると、彼は言葉通り、起き上がったのでした。
 「聖書は良いことが書いてあるが、奇跡の話は嘘っぽい」と言う人がいます。奇跡の話は難しい箇所です。素直に信じる人には生きる力になりますが、説教では説明でお茶を濁し、受け入れやすい話にすり替えてしまう誘惑があります。
 アイネアは何年も前から病床でイエスさまの噂、メッセージを伝え聞いていたに違いありません。私たちはもっと詳しくイエス・キリストの知識を持っているはずです。ところが、大きな夢、弱点やこだわりから開放されたいという思いがありながら、イエスの言葉や出来事は「知識」に留まり、なかなか現実になっていません。
 ペトロが「アイネアよ」と直接呼びかけたように、イエスさまの聖霊が「・・よ」と語りかけて下さる時(その音にならない語りかけを聴く準備は必要)聴き逃さないで「主よ、聴きます。従います」と真実に答えられるなら、現実は変わります。
 今、「デボーション」を学びながら「みことば」を聴く訓練を数人で受けています。「この私への語りかけ」として以前よりずっと聖書が近くなり、はっきりと聴けるようになるに違いありません。そう、期待しています。
 アイネアは家族や隣人の世話なしには生活できない身体でしたが、愛されていた人です。病床でも、みことばを受け止められる素直な心が育まれていたのです。
 アイネアはその名が「称賛、讃美」である意味が今日、分かりました。「今日、主に生かされている」。この現実を見たからこそ「人々は皆主に立ち帰った」のです。

2015年9月17日木曜日

2015.9/13 祝福への招き

◎ヤコブの息子たちよ、集まって耳を傾けよ。お前たちの父イスラエルに耳を傾けよ。父は彼らを、各々にふさわしい祝福をもって祝福したのである。(創世記48:2,28)
◎私の言葉を聞いているあなた方に言う。敵を愛し、あなた方を憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、侮辱する者のために祈りなさい。(ルカ6:27-28)
交換講壇だったので、島津牧師の松本教会での説教を記録
(創世記49:28、ルカ6:27-28)
 初めて松本教会と筑摩野教会で同じ「みことば」「讃美歌」による礼拝をしています。もちろん相談はしましたが、聖霊による一致を祈り求めてのことです。
 さて、私たちは必ずいつの日か死にます。不吉な話題でしょうか。「死を覚えよ」に従うなら一日一日が奇跡です。あと10年生きられれば3650日、87600時間あります。たったそれだけと焦るか、まだそんなにと感謝して奇跡の日々を生きるか、人それぞれです。
 主イエスはご自身が神を「アバ=父」と呼び「アブラハム・イサク・ヤコブの神」「生きている者たちの神」と教えて、神との交わりが人生を決めると教えられました。創世記のこの3人は神から祝福を頂き、祝福を子に手渡してきた代表です。
 創世記の終わりに、不思議で美しい祝福の場面があります。多くの苦難を味わい、エジプトで晩年を過ごしたヤコブは、ヨセフの子2人を養子にして「祝福」を与えます。
 ヨセフは当然長男のマナセが長子の特権を授かると考えて父の右手(力の象徴)側にマナセを立たせます。ところが父は腕を交差させ、エフライムに右手を、マナセに左手を置いて祝福の祈りをしました。
 かつてヤコブ自身、母リベカの計画に従い、目がかすんだ父イサクを欺き「長子の祝福」を奪いました。それは兄エサウとの確執と多くの苦難の始まりとなりましたが、歴史を導く神の深い計画によるものでした。
 臨終の床で12人の息子に与えられた「祝福」は驚きです。ユダとヨセフ以外の10人への言葉は、とても祝福とは思えない、むしろ裁きと呪いです。
 ところが、28節には「これは彼らの父が語り、祝福した言葉である。父は彼らを各々に相応しい祝福をもって祝福したのである」と締めくくられています。確かにこれらも祝福なのです。
 祝福とは何でしょうか。「旧約聖書において祝福するという動詞は、救済に満ちた力を付与する」とあります。
 最初は祝福の範囲は家族でした。しかし、アブラハムが「すべての民の祝福の源となる」と約束され、イサク、ヤコブへと受け継がれ、ついにイエスにより「永遠の命」という祝福への道が信じる人、全てにひらかれたのです。
 主イエスの言葉を聴き、真に受けるなら皆「祝福された」人です。「幸いなるかな・・・人よ。災いなるかな・・・人よ」イエスは決定的な「祝福」を約束されました。
 「敵を愛し、憎む者に親切を、呪う者に祝福を祈れ」この祝福に私たち、一人一人が招かれています。

2015.9/6 確かな基礎の上に

(ゼカリヤ書8:1-13、使徒言行録9:31)
 万軍の主はこう言われる。勇気を出せ。あなた方は万軍の主の家である神殿を建てるための礎が据えられた日以来、預言者たちの口からこれらの言葉を聞いているではないか。
(ゼカリヤ書8:9)
 いよいよ西隣の住宅が完成します。かつて焼き芋大会をした所に立派な家が建ちました。更地からコンクリートの基礎打ち、組み立て、建前、庭造りまで毎日の変化を見てきましたが、最近は早く建ちますね。幼い頃、老練な棟梁の隣に住んでいたので、学校がおわるや帰宅し、夕飯まで飽きもせず、その仕事ぶりを眺めて過ごしました。
 棟梁は単なる大工ではありません。完成図はもちろん、想定外があっても対応できる豊富な知識が「頭の中」にあって、大工や職人をまとめて、家を完成させます。
 さて、旧約の最後にあるゼカリヤ書とハガイ書は、ネヘミヤ記やエズラ書と同時代に働いた人々の記録です。彼らは紀元前450年前後に、預言者.行政官.祭司.律法学者として「みことば」を取り次ぎ、神殿と城壁再建をとおしてイスラエルの信仰を目覚めさせました。
 70年間も放置され、わずかに礎石が残った神殿と、崩れ落ちた城壁を再建するのは不可能に思えました。しかも妨害工作が繰り返しあったのです。それでも彼らは辛抱強くイスラエルの民を励まし、時に怒り、確かな基礎の上に工事を完成させました。
 こんなジョークがあります。中世のパリでノートルダム・カテドラルを建てていたときの話です。三人の職人が汗を流して石組みをしていました。
 「あなたは何をしているのですか」とそれぞれに尋ねました。一人目は「重い石を運んでいます。とてもきつい仕事です」とぼやきました。二人目は「一生懸命働いています。家族(賃金)のためです」と答えました。三人目は「カテドラル(聖堂)を建てています」と胸を張りました。同じ現場で同じ仕事をしていても、目的はずいぶん違います。
 では、神殿を建てるとか「信仰を建てる」とはどういうことでしょうか。私たちが「みことば」に出会い、神の思いと目的が解き明かされた時、「これこそ私の役割」と受け止めて働くなら、これ以外の人生「生きがい・喜び」があるでしょうか。

2015.8/30 生涯の友と出会う

恐れるな、わたしはあなたをあがなう。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。(イザヤ43:1-5、使徒言行録9:26-31)
 隣国同士の政府や一部の思い込みの強い人々が非難し合い、危険な状態になることがあります。けれども、そこに少数ではあっても相手の立場を理解しようと行動する人、あえて言えば、神に導かれて平和を創り出すために召された人たちがいます。
 この夏、出会った孫信一(ソン・シニル)牧師は茨城で生まれ育った韓国人三世です。献身して母国に留学し、日本でも韓国でもなくチェコのプラハで「日本語礼拝」に心血を注いでいます。妻の閔梅羅(ミン・マエラ)さんは人を活かす才能に恵まれた積極的で明るい人です。
 さて、若きサウロは生粋のユダヤ教徒の愛国者でキリスト教を憎みました。教会を迫害し、どこまでも信徒を追いつめて逮捕する使命を信じていました。そのサウロが「回心」して突然、命をも惜しまないキリスト伝道者に変わったのです。後に教会が「かつて我々を迫害した者が、滅ぼそうとしていた信仰を、今は福音として告げ知らせている」と神を讃美したほどです。
 しかし「回心」直後はあまりにも鮮やかな変身ぶりに、「裏切り者」とか「スパイではないか」とユダヤ教からも教会からも疑いの目で見られました。普通なら、「ほとぼりが冷める」まで、じっとしているものです。ところがサウロはすぐさま伝道しました。それだけ「回心」は本物だったのです。
 この、どちらからも拒否された青年を「受け入れて」友となった人物がいました。バルナバです。4章36節で「慰めの子」と紹介され、何度も何度もサウロを助け、失敗した人のためにも労苦するのです。
 サウロが後のパウロとなるためにはダマスコのユダ、アナニヤ、エルサレムのバルナバを神は遣わされていますが、主人公でもなく有名になることもありません。
 パウロは晩年に「私を強くして下さることによって、どんなことでも出来る。それにしても、あなた方はよく私と困難を分け合ってくれました(フィリピ4:13,14)」と告白しています。その「あなた方」の一人に過ぎません。
 しかし、生涯の友とは「いつも一緒で気の合う仲間」ではなく、その人がいなければ今の自分はいない、めったに会うことさえなくても、神による真の友なのです。
 バルナバは「慰めの子」です。この慰めと訳された言葉は聖霊と同じ「共にいる、傍らにいる、励ます、弁護人」という意味です。
 真の友はキリストが差し向けて下さる聖霊の具体的な姿です。「行って、あなたも同じようにしなさい(ルカ10:37)」とイエスはおっしゃいました。友と出会うため行動するか、しないかは各人に任されています。

2015.8/23 ドレスデンの聖母教会を訪ねて

8月23日の主日礼拝は
塩尻アイオナ教会の横田幸子牧師を迎えて子どもと合同の礼拝をしました。詩篇8編から「おさなごは神を讃美している」
出席した5人の子どもたちに一人一人に相応しい言葉を選んで「こども祝福」をして下さいました。
T姉妹と二人の子どもたちが、アフリカのマラウィに移り住むことになったので、神の守りと導きをいのりつつ、愛餐会と壮行会をしました。

ということで、今週の「みことば」欄は、島津牧師の旅行記の続きを記します。

ドレスデン聖母教会を訪ねて
 60歳の誕生日、7/27にドイツのドレスデンにあるフラウエン(聖母)教会を訪ねた。18世紀初頭、ザクセン公国のフリードリッヒ・アウグスト1世は自身はカトリックであるにもかかわらず、都にルター派の大聖堂として建てることを許した。その礼拝堂構成は、祭壇・講壇・洗礼盤を信徒の真正面に配置したプロテスタントの特質をもつ画期的なものだった。冷戦終結後はザクセン福音ルター派州教会に属している。
 数年前にBS番組として紹介されたその教会の物語にとても興味をもった。爆撃でドイツのほとんどの工業都市は焼き尽くされドレスデンも例外ではなかった。
 聖母教会は1945年の2月13日の爆撃に耐えた。その地下聖堂に逃げ込んだ300人もの人々の命を守ったが、65万発の焼夷弾の熱によって外壁は1000度に達し、翌日に大崩壊した。
 戦後は同市が東ドイツに属していたため再建はままならず、1985年になって再建計画が持ち上がった。
 冷戦終結後の1989年から20カ国を超える国で聖母教会の再建が呼びかけられ、2005年10月30日に聖堂前のルター像が見守る中、献堂式が行われた。
 聖堂頂上の十字架はイギリス軍爆撃手の息子・金細工人アラン・スミスが、ドイツ生まれのアメリカ人生物学者(99年生理学・医学ノーベル賞受賞)ギュンター・ブローベルが基金を創設し、賞金の大半を寄付したことで知られている。ちなみに再建費用は1億8千万ユーロ(250億円)。
 再建を可能にしたのは、8500もの崩壊した石材に帳票が付けられ整理保管されていたこと、19世紀の修復時の詳細な資料が残されたこと、CG技術によってがれきの配置が再現されたこと、さまざまな要因がある。
 期せずして、還暦の誕生日パーティーをこの聖堂脇のレストランで開いてもらった。300年をへた上に爆撃で黒ずんだ石材と、新しい技術で補完された石材とが不思議なモザイクを描いている。聖堂をながめながら、和解とは何かをしみじみ味わった。
 今、日本周辺では「和解と協力」に程遠い雰囲気で満ちている。だからこそ私たちはキリストに倣って身を低くして「和解と奉仕」を見つけたい。心を開いて見渡せば、私たちを必要としている働きの場は身近にあるのだから。




2015年8月22日土曜日

2015.8/16 神の真実を知るとき

◆(ダニエル書3:13-18、使徒言行録9:19b-25)
 もしそんなことになれば、わたしたちの仕えている神は、その火の燃える炉からわたしたちを救い出すことができます。また王よ、あなたの手からわたしたちを救い出されます。
 たといそうでなくても、王よ、ご承知ください。わたしたちはあなたの神々に仕えず、またあなたの立てた金の像を拝みません。(口語訳3:17-18)
 戦後70年の特別企画がテレビでも街中でも盛んに行われています。昨日は、神風特攻で戦死した上原良司(現池田町出身)の「自由への憧れ」と「いまを生きる」をテーマに、戦時世代から高校生までの、世代を超えた発表を聞く機会がありました。
 生き延びるか殺されるか。このような世界で「その時」一個人として、人間として、どのように思い判断し行動するかは、普段から誰を信じ何を基準に生活しているか、どのような生き方をしているかが問われる真剣な問題です。
 「たといそうでなくても」という本があります。日本が1910年から敗戦まで南北朝鮮を併合した時期に、千を超える神社が建てられ拝礼が強制されました。会堂もろとも信徒が焼き殺された事件(提岩里教会)もあるほど過酷な弾圧で民衆が苦められました。ところが、日本の教会の代表は「神社参拝は国民儀礼」として拝礼をするよう現地に赴き説得していたのです。
 安利淑(あん・いすく)さんと数名が「帝国議会」の傍聴席から抗議の垂れ幕を投げ込み捕らえられました。その事件に至る民衆の苦しみと教会事情、真剣な祈りと行動が「たといそうでなくても」に記されています。韓国が8月15日を「光復節」として祝うゆえんです。
 「明日は自由主義者が一人この世から去って行きます」の遺書で知られる上原良司の「自由への憧れ」と悲惨な戦争実態(結果的に被害者の立場で)を、いま語り継ぐ事はとても意義があります。
 しかし、それ以上に教会は過去の罪を知り、学び、告白しつつ、赦された罪人として「信仰の言葉」で自由と正義を語らなければならないのではないでしょうか。その内容の中心は「この人こそ、神の子である」です。
 若きサウロは徹底的にナザレのイエスを否定し、信じる者を弾圧するユダヤ当局の手先となっていました。そのサウロが復活されたイエスに出会って、自分の深い罪を知らされ、同時に赦されたことを悟りました。
 許されざる罪を示され、その深い罪を自分ではどうすることも出来ない弱さを自覚したとき、神の真実がその人をとらえ、イエスの力に頼って生きる人に生まれ変われるのです。それが自由への出発です。正義のよりどころです。

2015年8月14日金曜日

2015.8/9 100年後の収穫 ヤン・フスを訪ねて(2)

◆100年後の収穫(ヨシュア24:14、ヘブライ13:7)
  あなたがたに神の言葉を語った指導者たちのことを思い出しなさい。
  彼らの生涯の終わりをしっかり見て、その信仰を見倣いなさい。(ヘブライ13:7)
 「桃栗三年、柿八年。梅は酸いとて十三年」植栽して最初の果実が収穫できるまでを喩えて、辛抱することを教えたことわざ。注意深く苗を植え、水を注ぎ肥しを与え、季節ごとの手入れを繰り返して時を待つ。うまい果物の陰に農夫の忍耐と愛情がある。
 「神の言葉を語った指導者を思い出し、彼らの人生と信仰を見倣え」と命じられている。厳しい現実の前に立ち往生しているクリスチャンへの厳しい命令だ。しかし、その命令の前には「私は決してあなたから離れず、決して置き去りにはしない」と神の確かな約束があり、後ろには「イエス・キリストは、昨日も今日も、また永遠に代わることのない方です」の保証で挟まれている命令なのだ。
 クリスチャンは一人ぼっちで厳しい現実を生きていくのではない。イエスを先頭に、数え切れないほどの先輩に囲まれ、やがて私たちの信仰を後輩に証ししていく。
 そのようにして天国への旅は一人の人生の巾で到達点を見ることは出来ない壮大なものだ。ただ、信じ仰ぐのみ。
 今年はヤン・フス殉教六百年、二年後はマルチン・ルター95箇条提題から五百年。
 祖国の言葉で礼拝を守りたい、その願いで三十年以上もヨーロッパ各地で礼拝を守っている集会から二百人を超える人々がチェコのプラハに集まった。不思議な導きで私もそこにいた。
 「神の真実」を求めて命を絶たれたフスは、死に際に「あなた方は一羽のガチョウを焼こうとしているが、その灰から百年後に白鳥が現れるだろう。そして、あなた方はその白鳥を殺すことは出来ないだろう(ケルン・ボン日本語キリスト教会 月報2015.3 「ケルン探訪 齋藤朗子」引用)と言い残したそうだ。
 いろいろ解釈はあるが「百年たっても真実を求める人がいなくなることはない」という確信ではないか。
 オランダのルター派教会のシンボルは、その白鳥をモチーフとしているとのこと。(同上引用)ルターがフスの百年後に出現したからだろう。
 しかし福音を真実に求め、生き、証しする教会であるなら、百年の巾で考えた時、私たちも確かに含まれる。この招きと幸いに生き抜こうではないか。

2015.8/2 平和聖日 ヤン・フスを訪ねて 「平和のリタニー」

◆ヤン・フスのこと
 60歳の特別なプレゼントを神さまと家族と教会の皆さまからいただいて、3週間の異文化体験をしています。お腹の心配、言葉の心配、過去最高の留守など心配ごとは嘘のように、毎日充実しています。一方、早起きと聖書朗読祈りのリズムが・・・
 スイスの山々、氷河、ハイジの故郷を訪ねたあと、水曜日から「第32回ヨーロッパ・キリスト者の集い・プラハ」に参加しています。日本からは特別ゲストや私などの少数派で、ほとんどは20年前後、ヨーロッパ各地で暮らしている日本人信徒や当地の人々。
 チェコ・フィンランド・ノルウェー・ルーマニア・ベルギー・オランダ(3グループ)・スイス・アイルランド・イギリス(6グループ)・フランス・スペイン・イタリア・オーストリア・ドイツ(9都市)から200人以上。準備とサポートは姉の通うプラハ・コビリシ日本語礼拝の教会:韓国人牧師家族4人と信徒3名ほどですべて担当されました。
 どの日本語集会も、移住した一人や夫婦が知り合いに呼びかけて始まり、現地の親しい外国人が加わり、そして転勤族が入れ替わるというケースが多いようです。いわば、信仰生活の最前線が異文化の町に点在しているわけです。実に励まされました。
 さて、7月6日はヤン・フス殉教600年で、ベツレヘム礼拝堂(ヤン・フスが説教した教会・1955年に改修されたが、基本的にその時代の建物。民族的財産であるため現在は工科大学が管理)でチェコの全教派と政府代表が記念会をしたそうです。その礼拝堂で、昨日31日に私たちも集会をしました。
 10月31日は「宗教改革記念日」です。1517年ドイツ人マルチン・ルターの行動が発端でヨーロッパ各地に信仰覚醒と教会改革ののろしがあがりました。その百年以上も前にイギリスでウィクリフが英語に聖書翻訳して改革の源になり、その精神をヤン・フスは引き継ぎます。農民出身の彼はカレル大学で学びつつ、聖書から純粋に福音を農民に親しく語り、大衆から愛され、その学識と説教は貴族にも支持されました。やがてカレル大学の総長になりました。神聖ローマ帝国の首都プラハに創設されたヨーロッパ最古の大学です。
 けれどルターと同様「贖宥:免罪符」販売を巡り教皇を敵に回してしまい、1415年ドイツ領コンスタンツに出頭を命じられます。当時、教皇が3人もいて、誰が正統かを協議する会議でしたが、分の悪い教皇が逃げ出し(後に処刑)事態は収拾。ついでに異端問題として目の敵の抹殺です。友人は猛反対しますが、ヨーロッパ中に福音の神髄を弁明したいと出頭。しかし弁明は1回も許されず裁判なしで焚刑(火あぶり)にされてしまったのでした。ちなみにルターや使徒パウロには弁明の機会がありました。
 乱世の露と消された人々によって、今も神さまは真実を語り続けられるのです。

牧師不在のため「平和のリタニー」を礼拝で唱和しました。

              十戒に基づいた平和のリタニー
司式者 主なるイエスは招かれます。
    平和を実現する人々は幸いである。
     その人たちは神の子と呼ばれる、と。
会 衆 主の平和が実現しますように。あなたの手と足にして下さい。

司式者 主よ、あなたの戒めを守ります。
    ただ、あなただけが私たちの神です。
    あなたは「私の子よ」と呼びかけて下さった。
会 衆 1,私たちには、あなたのほかに神はいません。

司式者 主よ、私たちをそそのかす声が聞こえます。
    良い人、能力のある人と思われなさい。
    競争を勝ちぬきなさい。人を従わせなさい、と。
    あなたは「奴隷の家」から救い出して下さった。
会 衆 2,私たちは、いかなる像も造りません。拝みません。

司式者 主よ、あなたのお名前だけが真実です。
    アバ、父よ。共にいてください。
    聖霊が、キリストの声を聴けるようにして下さった。
会 衆 3,あなたの御名を身勝手に唱えたりしません。
    あなたの栄光を不注意に傷つけたりしませんように。

司式者 主よ、私たちには本当の休息がありません。
    終わりのない仕事と断れない関係に囲まれて、
    一人になる時間も隣人を思いやるゆとりもありません。
    あなたは、奴隷の身分から自由にして下さった。
会 衆 4,あなたの創造のみわざと安息を覚えます。
    主の日を聖別します。御前に進み出て、安息をいただきます。

司式者 主よ、ゆがんだ競争と愛のない世界が心をむしばんでいます。
    あなたは神と人、人と人との正しい関係を示して下さった。
会 衆 5,私たちは父と母を心から敬います。
    あなたから与えられた命のつながりに感謝し、大切にします。

司式者 主よ、命が軽くされています。不注意や身勝手で人が殺されます。
    あなたは、尊い独り子をこの世に送って下さった。
会 衆 6,私たちはおたがいの命を愛します。
    隣人の命が危険にさらされているとき、見過ごしたりしません。

司式者 主よ、戦争は人間の魂を奪います。かつて隣国の多くの女性たちを辱めました。
    その事実を認めない、知らない人々がいます。
    今も、男女の関係を破壊し、性を欲望の道具にしています。
    あなたは「もう、罪を犯さないように」と赦して下さった。
会 衆 7,姦淫してはならない。あなたの戒めにおののき、
    私たちの過ちと弱さを告白できますように。

司式者 主よ、戦争や不当な契約で隣人のものをかすめ取った歴史があります。
    知らずに、この世の生活を楽しんできました。
    あなたは「今日、救いがこの家を訪れた」と祝福して下さった。
会 衆 8,盗んではならない。この罪から解放して下さい。

司式者 主よ、私たちは隣人の足を踏んでいても気づきません。
    踏まれた人の痛みを無視しただけでなく、嘘つき呼ばわりしています。
    あなたは、私たちの代わりに十字架にかかって下さった。
会 衆 9,偽証してはならない。隣人の声に耳を傾け、真実を語ります。

司式者 主よ、私たちの欲望には限りがありません。満足できません。
    「私の恵みは、あなたにとって充分です」と気づかせて下さった。
会 衆 10,隣人のものを欲しがってはならない。欲望から解放して下さい。
    あなたの恵みで満たされた生き方を選びます。

司式者 主よ、これらの戒めは、あらゆる恵みと命への道筋です。
会 衆 あなたが下さった自由と、希望と、赦しを心から感謝します。
    キリストの愛に支えられ、聖霊に身を委ねて、いま出かけます。

全員で アーメン


2015.7/26 ヨハンナ・シュピーリを訪ねて(2)

◆ヨハンナ・シュピーリのこと(2)
 7月23日夜9時頃ヒルツェル村に到着しました。Johannna Heusser Schriftstellerin ヨハンナ/ホイサー/シュリフツテラ-リンが1827年6月12日から14歳でチューリッヒに移るまで過ごした故郷です。
 松本に似たヒルツェル市街地に入ったとき、二世紀前の面影はないかと思いましたが、数キロ離れた丘の周辺には昔ながらの農村がひろがり、その中に教会と生家を見つけて感無量。夜でもフラッシュなしで撮影できる明るさですが、さすがに人通りはなくて、去ろうとしていた時、教会から老人が出てきて鍵を掛けていました。姉がドイツ語で「日本からシュピーリの故郷を訪ねて来ました」と言うとパウルさんというその人は喜んで礼拝堂へ入れてくれました。「あいにく牧師は2ヶ月ほどバカンスで不在だが何でも聞いて欲しい」と、あれこれ親しく話をすることが出来ました。
 教会堂は1600年代前期に建てられ、10年程前に改装したそうで、外側の重厚さと内側の快適そうでのびのびとした空間にパイプオルガン、現代的彫刻の聖餐台、素敵な洗礼盤がありました。座席は80から120。普段は30人ほどの出席で行事には若い人も集まり70-80人にはなるそうです。最近6人の幼児洗礼があったと、嬉しそうでした。
 ルター派教会のプレジデントだと自己紹介、筆頭長老という感じ。16世紀まですぐ脇の道を境にカトリックの勢力が迫って必死で追い返したんだと、スイスの歴史を垣間見る話もありました。ヒルチェルまでの道で鐘楼の形が違う教会が沢山ありました。教派で鐘楼の形が違うので、農村地域はカトリック、チューリッヒなど都市部は改革派、このあたりはルター派という棲み分けがあるのでしょうか。
 ヨハンナの父は、義務に忠実な医者として貧富の別なく献身的に患者を受け入れ、内科も外科もがむしゃらに仕事を増やします。とりわけ精神病患者を受け入れ家族のように世話をしますが、ぶっきらぼうな人柄で、実際の苦労はお母さんが一手に引き受けたようです。そんな父母の下で人の心と身体の世話する姿を見て育ったヨハンナの作品には、人が生きていくために自然の育み癒やす力と、愛と理解の助力が不可欠というテーマが、いつも主人公と周辺の人の言動に込められていったように思います。
 「ハイジ」中のゼーゼマン夫人が保養に滞在したラガーツ温泉の「高級ホテル」に泊まり、翌日マインフェルトの「ハイジ村」を訪ねました。土産物店にはここそこに日本人客が見られ、併設の「ハイジ・ミュージアム」は数十カ国語に翻訳されたハイジとその絵本が展示の中心で、ヨハンナ・シュピーリの作品や精神的遺産はちょっぴりで「テーマパーク」のようでした。本物の記念館はチューリッヒにあるそうです。

2015.7/26 ヨハンナ・シュピーリを訪ねて

この夏、島津牧師は7月17日から8月7日まで教会から休暇を頂いて、スイス、ドイツ、チェコ各地を訪ねました。
そこでのエピソード、思いを週報に記しましたので転載します。
◆ヨハンナ・シュピーリのこと
 1974年放送の「アルプスの少女ハイジ」は今でも人気のアニメで、当時、家族揃ってみたものです。しかし、原作の世界を知ったのはごく最近のことです。それからは邦訳の原作の虜となって、誰かれなく推薦しています。そこには、大人の都合で振り回されながらも、まっすぐに生きるハイジの心と信仰の成長、素朴な人間関係そして「児童文学の福音書」と言われるように、小さなハイジの信仰によって大人たちが自分を縛ってきた運命から自由にされていく姿が描かれています。
 シュピーリは「ハイジ」出版より10年あとに「誰でも、ひとを助けることができないほど小さくはない」という作品を63歳で書いています。どんな小さな子どもでも、人を助けることができるということは「ハイジ」に込められた作者の確信でしょう。 ヨハンナ・シュピーリの最初の小説は1871年、44歳の時です。
 その処女作「フローニーの墓の上の一葉」は、幼友達の薄幸な人生と墓に献げられた切ない回想の一葉でした。もともとシュピーリは明るい人で、作品は明るい終わり方になっているのですが、手放しの明るさではありません。苦しみと悲しみの中で、決して消えることのない、それを切り抜けた明るさです。
 シュピーリは結婚後の姓で、父はヨハン・ヤーコプ・ホイサー。寒村の貧しい農家に生まれ、苦労して医者となり、村の人々の健康に心を配りました。母マルガレータ(通称:メタ)はヒルチェル村の牧師シュワイツァーの娘で、物思いがちな穏やかな人でした。24歳の時に猛烈に口説かれて結婚をしています。積極的で果敢な父と、穏やかで詩作をたしなむ母から受け継いだ性格によって、ヨハンナの作品には、正反対の性格、つまり、芯の強さと融和的な優しさを併せもつ主人公が描かれているのです。
 さて、ヨハンナ・ホイサーの生まれたヒルツェル村は、大都会チューリッヒから東南へ30㎞あまり、海抜719㍍で松本と似ている。「シュピーリの生涯:高橋健二著、1972出版」によれば、斜面の牧草地に家がまばらに立っている風景だという。
 ホンダ・シビックで訪ねる小さな村に秘められた、おおきな楽しみを発見出来たらいいなーと願っています。もしかしたら、「特派員報告」ができるかも。

2015年7月15日水曜日

2015.7/12 今日、救いがこの家を訪れた。

◆(ヨエル書2:12-14、ルカ19:1-10)
今日こそ、この家に救いがきた。なぜなら、彼もまたアブラハムの子だからだ。
実に、(人の子は)失われたものを探し、救うために来たのだ。(岩波訳:19:9-10)

 「救われた」と誰でも一回はつぶやいた覚えがあるでしょう。ほとほと困った時に助けられた経験のことばだからです。
 「救いが来た」は実に不自然な表現ですが、人生の「救い」は向こうからやってくるからです。人格的な出会いや出来事の場合もあります。本物の幸せを知らなかったザアカイに「救いが来た日」の話です。
 7月第2主日を日本基督教団は「部落解放の日」と定めて40年が過ぎましたが、教会では余り知られず、部落差別は身近にあり、日陰でしぶとくはびこっています。
 野中広務(ひろむ)という政治家がいます。自民党の重責を歴任した実力者ですが、若いときから部落出身を公言して生きてきました。「差別と日本人」という本で、在日韓国人の辛淑玉(しん・すご)さんとの対談は心を打たれます。激しい差別の中で懸命に生きてきた二人の生々しい歴史がユーモアたっぷりに語られます。彼は中学2年の時、級友が後ろで「あいつは部落の人間だよ」と囁くのを聞いて、初めて出自を知り「何くそ」と自分を意識して頑張ったそうです。決定的なのは「何であいつだけが出世するんだ」という職場の年長者の愚痴に「ここでは飛ぶ鳥落とす勢いだけど、地元に帰ったら部落の人」と心血注いで世話した同郷の後輩が陰口を言ったことでした。職場を去り郷里で町会議員に立候補。町長になって部落出身を逆手にとり同和事業を独占していた業者と対決。「そんなことしていては部落差別は無くならない」「差別された者こそ真面目に生きねば」という信念は78歳で政界を引退し、90歳になっても。
 イエスはエルサレムへ向かう途中、エリコに入り「通過しようと」していました。ところが、この町の外(18:35-43)と内で事件が起こります。失明した物乞いと金持ちの身の上に。さてザアカイは、イエスがどんな人か見ようとしますが背が低くてかないません。そこで木に登って待ち構えました。イエスは「そこを通り過ぎる」はずでしたが、ザアカイの真下(アンダースタンド(understand)に来ると、見上げて「今日はあなたの家に泊まる」と言われます。この日まで「何くそ」とお金に執着して身を立てていたザアカイは「失われた人」でした。しかしイエスを迎えた日、彼は本心に立ち返り、無一文になるほどの決心をします。それが「救いのおとずれ」です。そして「この人も、アブラハムの子」と呼ばれて、本来の名「純夫、正、義男」を回復したのです。

2015.7/5 神を讃美するために 

◆(列王記下5:15-19a、ルカによる福音書17:11-19)
さて、彼らの内の一人は、自分が癒やされたのを見て、大きな声で神を讃美しながら戻って来た。そして顔を(大地につけて)イエスの足下にひれ伏し、彼に感謝するのであった。しかし、彼はサマリア人であった。(岩波訳:ルカ福音書17:15-16)

「イエスさまー。先生ー。私たちの苦しみを分かって下さーい。」
「キリエ(主)・エレイソン(憐れみたまえ)」は、自分の罪に苦しみ、解放を心から願う人々の讃美です。
 「らい病」と訳されたレプラとかツァラアトは古代から世界中にあった病気で、激しい差別を生みました。これらは必ずしも「らい病」を意味するものではないので新共同訳では「重い皮膚病(王下5:1)」と改めています。一般的に「ハンセン(氏)病」と呼ばれます。
 奈良時代から「白癩びゃくらい」として忌み嫌われ、明治時代に入ると「無らい運動」と称して、患者を見つけ出し隔離する政策が徹底され、無数の家族が引き裂かれるという悲しい歴史を生みました。
 1941年に特効薬のプロミンが開発され、1960年代には治療法が確立していたのに「らい予防法」による隔離は続けられます。1996年にようやく廃止されて「ハンセン病を正しく理解する日」が制定されますが、現状はほとんど変わりません。ついに国の責任を明らかにし賠償を求める訴えが熊本でなされました。2001年に裁判所は訴えを全面的に認め、国は控訴を断念しました。当時の小泉首相、坂口厚労大臣が謝罪したことは記憶に新しいのではないでしょうか。それでもなお容易に故郷に帰ることの出来ない現実があるのです。
 イエスの時代もこの病気の人は、山間地に隔離され、接触を禁止され「私たちはケガレた者です」と遠くから叫ばなければなりませんでした。しかし、イエスは人々が恐れる「ケガレ」など気にも留めず、沢山の人に触れて癒やされ(5,7章)ています。
 17章は、イエスが十字架を覚悟してエルサレムへ向かう途上で起こった出来事です。10人のらい病人がイエスに「出会った」とあります。掟通り、遠くから、それでも必死で「イエスよ、憐れみたまえ」と叫びました。イエスは彼らを見て「行け。見せよ。その身を祭司に」と命じただけでした。言葉だけ?と思ったかも知れません。にもかかわらず彼らはすぐに出発しました。その10人は、途中で皮膚が清くされたことを感じてどんなに驚いたことでしょう。先を急ぎ祭司に体を見せ「完治した」と診断されれば、村へ帰ることが許されます。
 ところが、ここに例外的な一人がいました。清くされたことを感知すると、とてつもない大声で神を讃美しながら戻って来ました。そしてイエスの足下にひれ伏し感謝を表しました。イエスは他の9人はどこへ行ったのか、と問いかける一方で、この一人を祝福しました。この人はユダヤ人から軽蔑されていたサマリヤ人でした。
 この出来事は礼拝者の姿を示しています。神はいつでも苦しむ人の叫びに耳を傾けておられ、一番良いときに叶えておられるのですが、それが叶うとたちまち神を忘れてしまうのが人の罪深さ・さがです。感謝と讃美をたずさえて、繰り返しイエスのもとに返ってくる人への恵みは違います。
 主イエスが「立って(復活の意)、行け(この世へ)。あなたの信仰が、あなたを救い続ける」と宣言されました。単に病気が治っただけでは本当の社会復帰は出来ません。神に愛されているという希望と確信が宿ってこそ、人は名誉を回復し、この世の荒波にも立ち向かう人にされるのです。その姿が、神の栄光を輝かせる讃美と礼拝です。

2015年6月28日日曜日

2015.6/28 新しく見えてくること 教会創立記念日


(ヨブ記42:1-6、使徒9:19b-22)
 サウロは数日の間、ダマスコにいる弟子たちと共にいて、すぐに諸会堂で、イエスのことを「この方こそ神の子である」と宣べ伝えた。これを聞いた人々は皆あっけにとられた。(岩波訳 9:19b-22から)
 きょう、私たちは教会創立24周年を迎え、幼子からお年寄りまで神の家族として礼拝しています。血のつながらない人々が神に招かれて家族となれたことは奇跡です。
 もし、ある時代にある人が「神のことばに圧倒されて」人生が変わらなかったなら、松本教会も筑摩野教会もなかったに違いありません。その一人はサウロであり、名も知られない一人のクリスチャンであり、宣教師であり、私たち一人一人なのです。
 バプテスマを受けたサウロは、聖霊に満たされて新しい人になりました。あれほど激しくイエスを否定し、信じる人を憎んだのに、自分がイエスに赦されたことを肌で感じました。アナニヤやダマスコの信者たちが「兄弟」として接してくれたからです。
 これまで誰よりも熱心に神の命令を守り、神に逆らう人を許さず、氏素性にプライドをもっていたサウロでしたが、どこかで神を恐れていました。律法違反や神に罰せられることはないかと。監視の目を自分にも向けていたサウロは、悔い改めて罪を赦された(神の愛に戻る)ことが、どんなに素晴らしいか、はっきり分かったのです。
 神の赦しを確信したサウロは早速、安息日(土曜)に会堂へ出かけて証をしました。「イエスさまは、こんな私をすっかり赦して下さった。この方こそ、神の子です」と。
 面食らったのは居合わせたユダヤ人です。「あの男は、つい先頃までイエスを呪い、信者たちを捕まえるのにやっきになっていた張本人ではないか。それが手のひらを返したように、イエスが救い主だと論じている」
 しかし、幼いときからしっかりと聖書を学び、ガマリエル門下生として修行したサウロの話には説得力がありました。素直に聞く人にはサウロの話は、真実だと分かったのです。
 けれどもサウロは古い仲間にとって裏切り者になったのです。サウロの伝道は苦労の連続でした。行く先々で彼の証を受け入れて救われる人がある一方で、どこまでも自分たちの言い伝えや伝統に縛られてサウロを殺そうとする勢力がいました。
 「私の名のためにどんなに苦しまなければならないか」とイエスさまは常にそばにいてパウロとくびきを担ったのです。
 けれども、神の言葉は閉じ込められたりしません。自由な霊はサウロに力を与え、世界中に伝道者を送り出し。そして日本にも、この松本にも、そして私たちに。

 140年程前、一青年が横浜に出て行きました。彼はアメリカの宣教師に出会い、福音を伝えられて入信します。松本に来て聖書販売のかたわら伝道を始めました。
 明治初期のキリスト教週刊雑誌「七一雑報」に「(**)河邨天授、コルレルの講義を聴く。・・・・大いに感発し・・・・志を抱いて松本に帰り・・・・」そのコーレル宣教師の報告書には「私の横浜のバイブルクラスのメンバーで、先ごろ郷里の信州松本に帰った男(**)から、1877年の初秋、手紙が届き、松本に来てほしいと懇願された。故郷で伝道を試みたが自分の非力を感じ、応援を求めた。」とあります。(**)は、ある記録には長沢弥左衛門、別の記録には原田弥右衛門、1926年の教会報には長沢弥右衛門。(**)本当は誰?
 「七一雑報」にある河邨天授こそ、1878年創立の松本教会で初代牧師となった人です。
 私たちも、いま教会に来て礼拝している。イエスを主と信じるようにされた。でも、最初にイエスさまを紹介してくれたのは誰?最初に教会へ誘ってくれたのは誰?最初に私のために祈ってくれたのは誰?かけがえのない、その一人の人が誰だったのか正確に思い出せない人は多いのではないでしょうか。

 私たちの伝道所は、それから百年後の1978年、松本市南部への伝道が幻として与えられた松本教会が、13年間も北原町でクリスマス会、子ども会や聖書を読む会を続けて、ついに、1991年4月に12人の信徒が志願して最初の会員になり、礼拝が始まったのです。
 聖霊の風が吹いています。心の窓を開いて、イエスさまの聖霊を迎え入れましょう。

2015年6月26日金曜日

2015.6/21 見えなくされ、見えるようになる

 (ヨブ記38:1-6、使徒言行録9:10-19a)
 「兄弟サウロよ、主がわたしを遣わされたのです。あなたがここに来る途上で、あなたに現れた、あのイエスが。それは、あなたが再び見えるようになり、また聖霊に満たされるためなのです。(岩波訳 使徒言行録9:10-19a)
 「あなたの敵を愛しなさい」主イエスの生き方、従う人への命令です。しかしアナニアは訴えます。「主よ、私はこの男について多くの人から聞きました。彼がエルサレムであなたの聖徒たちにどんな害を加えたか」それでも主は命じます。「行け」と。
 17日の夜、米南部チャールストンの黒人教会で起きた悲劇。21歳の誕生日に父からプレゼントされたピストルで、聖書を学んでいた牧師と信徒9名を撃ち殺した白人。19日の裁判では「あなたを赦します」と何人かの遺族が呼びかけました。信仰なしには「美談・茶番」に映るかも知れません。肉親を無残に殺されて犯人を赦せるものでしょうか。ある遺族は「神が彼を救済することを願う」とも言っていました。
 ヘイトクライム(憎悪犯罪)は感染力の強い病気です。相手への恐れと不安な心が虚言と憎しみの連鎖を引き起こします。始末が悪いことに「自分は正しいことをしている」という確信犯なのです。「愛は多くの罪を覆う(1ペトロ4:8)」と示されているように「信仰による赦し」だけが、傷ついた双方の魂を癒やす可能性を持っています。
 さて、すでに仲間のユダはサウロたちを家に迎えていました。アナニアは着くやいなや「兄弟サウル、主イエスが私をよこしました。見えるようになり聖霊を受けよ」と手を置いて祈りました。するとサウロの「目から鱗」のようなものが落ちました。
 目から鱗の喩えはここからきています。ものの見方が正反対になって得る認識です。サウロは強い光に打たれ伏し、見えなくなり、絶望の中でもがき祈りました。誰よりも律法に従い、誰よりも正(義)しい人間として神に認められるはずが、なぜこんな目に遭うのか。三日間、神は答えてくれませんでした。しかしアナニヤはこうも言ったのです。「私たちの先祖の神が、お前を選んだのだ。それは御心を悟らせ、あの正しい方に会わせて、その口からの声を聞かせ、証人となるためだ。(22:14-16)」と。
 家柄、教育、律法遵守の熱心さを自負していた頃のサウロ(22:3-5)は、イエスに従えなかった真面目な金持ち(ルカ18:18-30)と似ています。あれもこれも持っているし守っている。なのに決定的な何かが足りないという不安。あるいは反対に「あの人にはあれもこれもあるのに、どうして私には何もないのか」という不満。
 そのような「足りない、情けない」という不安や不満は、立場の違う人への敵意となりやすいのです。「目から鱗」の経験が思いがけないところに用意されています。
 子どものような心で神の国を求めて招きに応える。これなら家柄も教育も健康にも関係なく、神の子になれるのです。

2015年6月15日月曜日

2015.6/14 子どもも大人も一緒に

 (サムエル記上3:1-9、マルコ10:13-16)
 「アーメン、あなたたちに言う。神の王国を子どもが受け取るように受け取らない者は、決してその中に入ることはない。」 そして彼(イエス)は、子どもたちを両腕に抱きかかえたあと、彼らに両手を置いて深く祝福する。(岩波訳 使徒言行録9:15-16)
 6月第2日曜を「花の日・こどもの日」として守っています。母の日と同様に北米の宣教師によって伝えられた意義ある行事ですが、最近はあまり知られていません。
 誰にでも「子ども時代」があります。赤ちゃん、乳児、幼児、少年時代色々ですが、大人になって思い出せるのは、せいぜい物心ついてからの出来事かも知れません。
 しかし、思い出せない時期の毎日の経験こそ、大切ではないでしょうか。家族とどのように過ごし、褒められたり叱られたり、笑ったり泣いたりしたか。反対に親の考えや都合に振り回されて、自由に遊べなかったり放置(ネグレクト)されたり。
 150年程前、米国東部のメソヂスト教会で、会堂を花で飾って子どもを真ん中に迎えた祝福礼拝を始めました。親には神の恵みと戒めの下で養育するよう勧めたのです。
 その頃、ヨーロッパもアメリカも経済成長のまっさ中で、子どもが働き手として期待され、家族が一緒にいる時間は失われ、信仰を軽んじる風潮が拡がっていました。
 イエスの時代も、子どもの立場は今とそんなに違わなかったようです。男に生まれるか、女に生まれるかは決定的でした。さらに職業の違いや貧富の差、健康か病気か、神の掟を守っているか守っていない(守る余裕がない)か。
 イエスは村々を回りながら、毎日のように病気を癒やし、教え、忙しい毎日でした。ある日、子どもを連れた人々がイエスの周りに集まってきました。父親や母親たちはわが子のために、手を置いて祈って欲しいと願ったのです。
 手を置くという動作は、神さまの恵みがあるようにという祝福のしるしです。次から次へと親子が近づいてきて大変なさわぎです。
 これを見た弟子は、この人たちを追い払い始めました。
「先生はお疲れだ。お前たちにかまっている暇はない」と考えたのでしょう。その時、大きな声がしました。イエスさまが本気で怒ったのです。
 「この子たちを私のところに来るままにさせておけ。邪魔をするな。なぜなら、神の王国はこのような者たちのものだからだ」
 ひどく叱られて、本当にびっくりした弟子たちですが、この出来事は忘れられない記憶になりました。イエスの懐に真っ直ぐに飛び込む、子どものような、この親子のような求めをイエスは喜ばれます。今日も一緒に祝福を求めましょう。

2015.6/7 古いものが壊れるとき

 (エレミヤ書18:1-6、使徒言行録9:1-9)
 サウロは立ち上がって、目を開けたが、何も見えなくなっていた。同行の人たちが、彼の手を引いて、ダマスコまで連れて行った。サウロは見えないまま三日間、食べも飲みもしなかった。(本田哲郎訳:使徒言行録9:8-9)
 一人の青年がいました。「サウロはステファノの殺害に賛成し・・・サウロは家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢へ送り(8:1-3)」「サウロは、なおも主の弟子たちを脅迫し殺そうと・・ この道に従う者を見つけ出したら男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行する(9:1-2)」ひどい人物の印象を受けます。
 ステファノが怒り狂う民衆に殺された時、サウロは乱暴者の脱ぎ捨てた上着の番をしていました。先祖から伝えられた信仰を純粋に信じて、何よりも神殿と律法を大事にしてきたサウロにとって、勢いを増して各地に拡がった「ナザレのイエス派」の教えは、人々の心を惑わす危険な教えだと考えていました。「木に架けられて」呪われたイエスを「神の子」だの「救い主」だのと宣伝されることに我慢がならず、何よりも神を汚す教えとして、叩きつぶさねばならないと使命感に燃えていたのです。
 エルサレムから逃げ出した信者たちが、サマリアよりもっと遠い(230㎞)ダマスコで増えていると聞いたサウロは、信者を逮捕し連行する役を買って出て、逮捕状を持って、血気さかんな仲間と一緒に、ダマスコに向かいました。その途上の出来事です。
 長い旅も終わりに近づき、もうすぐダマスコ、という時。サウロたちは天からの強烈な光に照らされて地面に叩きつけられました。焼け付く真昼の太陽より何倍もまぶしい光の中で、サウロは不思議な声を聞きました。「サウル(シャーウール)、サウル。なぜわたしを迫害するのか」「そうおっしゃるあなたはどなたですか?」「わたしはあなたが迫害しているイエスだ」信じられない。あのイエスという男は確かに死んだのだから。それとも、よみがえったという噂は本当だったのか。一瞬の間にいろいろと頭を巡りました。その時、仲間にはただ「意味の分からない声」が聞こえただけでした。
 「起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる」サウロは地面から立ち上がり、目を開けましたが何も見えません。サウロだけが見えないのです。仲間の手に引かれて、やっとダマスコの町に辿り着きました。それからの3日間は、とても苦しい日々でした。今まで信じてきたことが確かでなくなり、何も食べず何も飲まず、自分の身に起こった出来事を思い巡らしました。かつて目の前で祈りながら死んでいったステファノの最期がまぶたの裏に映りました。自分たちを呪ってはいなかった。かえって「彼らの罪をお赦し下さい」と神に赦しを祈っていたのだと。

2015.5/31 聖霊がなすままに

(サムエル記下7:1-10、使徒7:44-53)
 交換講壇・波田教会での説教要旨
 先週私たちは、今年のペンテコステを祝いました。祈りの家である教会に集まり、いにしえのペンテコステを思い、一人を救うために神は一人遣わして神の民として受け入れて下さることを学びました。聖霊はペンテコステで初めて登場するのではなく、創造の初めから神の業としてずっと働いておられます。
 モーセの時代(前13世紀頃)人々は「証しの幕屋」に出向いて礼拝し(出エジプト25章以下)ダビデの時代(前10世紀)も「神の箱」は幕屋(テント)の中にありました。
 ダビデは神が未だにテント暮らしでは申し訳ないと立派な神殿を建てる決心をしました。けれども、神はそんなことは望んでいなかったのです。神殿を実現したのはソロモン王でした。
 テント時代と神殿時代の大きな違いが聖書のいたるところに描かれています。宇宙を創造された神は人間の手による「家」に収まるはずはありません。そこは共通しています。
 決定的な違いは、「あって、ある者」「超越的な自由者」である神の前での人間の態度でした。
 モーセ時代も、ダビデ時代も神の前に人間は赤裸々でした。神の命令や意思に逆らうとき、人間は打ちのめされ、滅びの瀬戸際まで追いやられています。そこではじめて悔い改め、最初からやり直す謙虚さがありました。またささげ物をするときにはありったけの感謝を込めてしていました。
 ソロモン王は確かに世界屈指の贅沢な神殿を建てましたが、民の強制徴用と属国からの貢ぎ物によってでした。不思議なことに詩篇はともかく、歴史書に賢者ソロモンが神の前に悔い改めたという場面が見当たりません。
 晩年のソロモン王は意外にも、みじめでした。神自ら二度も現れて信仰に立ち帰るように戒めましたが無駄でした。信仰を受け継がなかったレハブアムはもっと哀れです。父を支えた忠臣の嘆願にもかかわらず、甘やかされ傲慢に育った仲間と共に、王国を分裂と破滅へ向かわせてしまったからです。それが聖霊に逆らうということです。
 今、筑摩野教会は大きな仕事をしようとしています。実質10人前後の会員でその責任を負うことは無謀に思えます。しかし、二月から祈るように導かれ、祈りの中で大きな決心を与えられ、一緒に携わる人が会員以外にも次々と与えられています。
 「恐れるな、小さな群れよ」「求めなさい。そうすれば与えられる」「天の父は求める者には聖霊を与えて下さる」実感です。

2015年5月29日金曜日

2015.5/24 ペンテコステ 喜びにあふれ、旅は続く

(イザヤ書53:11-12、使徒言行録8:32-40)
 ふたりが水から上がると、主の霊はフィリポをよそへ連れ去った。
 宦官はフィリポを見失ったが、喜ばしい気持ちで旅を続けた。
(本田哲郎訳:使徒言行録8:39)
 イースターから50日目のペンテコステに教会が誕生しました。
 「父の約束を待ちなさい」「まもなく聖霊のバプテスマを受ける」「聖霊が降ると力を受ける」とのイエスの言葉を信じて、母マリアや使徒たち120人もの弟子たちが祈っていると「彼らの上に炎のような舌が一人一人の上に留まり、聖霊によって世界各地の言葉で神のわざを語り出した」のです。(1-2章)
 12人から始まった弟子は劇的に増えて、エルサレムで大きな働きを始めました。ところが、その働きは迫害という予想外の力によって散らされてしまいました。けれどもそれは「あなた方の上に聖霊が降ると、力を受け、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで私の証人となる」の実現だったのです。そして伝わり伝わり、ついに私たちにも届きました。
 さて、フィリポは巡礼帰りのエチオピア人の願いに応えて聖書の意味を説き起こします。この場面はルカ福音書24章13-31節にそっくりです。
 自分の人生や世の中が良くなることを願い、その実現を誰かに期待するものです。しかし、神の思いを除外した期待は見事に裏切られます。エマオへ向かう弟子たちも「まさか、イエスさまが殺されてすべてが元通りになるとは」と失望を背負って歩いていたからです。
 その時、見知らぬ人が近寄ってきて「何の話をしているのですか」と話しかけてきました。そしてモーセから始めてイエスの十字架と復活にいたる聖書の目的を懇切丁寧に教えられました。二人の心は失望から希望へ、心が燃え始めたのでした。
 フィリポの解き明かしによって宦官は、今まで読んできたみことばが、私に向けられ、私を招いている言葉として聞こえてきました。罪を自覚できない人間から誤解され、ののしられながら十字架で死んだ「僕イエス」が、神により復活させられ栄光に入ったことを。罪人はまさに私のこと。イエスの命が取り去られたことはまさに私のためだったと。
 「ここに水があります。バプテスマを受けてもいいですか」
 振り返ると、初めて聖書を手にした日、エルサレムに行きたいとカンダケ女王に申し出た日、毎年巡礼に出かけるものの、神が分からなかった日々がありました。
 そして今日、ついに「私の救い主・イエス」を確信したのです。言われるままに水に入り「父と子と聖霊の名によって」バプテスマを受け水から上がると、いつの間にか先生(フィリポ)の姿が見えなくなっていました。
 聖霊は一人の人を選んでイエスに結びつけ、人生を導き、祝福して下さる働きです。

2015年5月22日金曜日

2015.5/17 誰かが導いてくれなければ

◆(イザヤ書52:13-53:3、使徒言行録8:25-31)
 そこで、霊がフィリポに「行って、あの馬車にぴったりつきなさい」と言った。
 (本田哲郎訳:使徒言行録8:29)
 小鳥の雛がふ化する瞬間にたとえ「啐啄そったく同時」という言葉があります。中国に鏡清禅師という方がいました。弟子が「私は充分に悟りの機が熟しています。今まさに自分の殻を破って悟ろうとしています。どうぞ先生、外からつついて下さい」と言ったところ、「つついてやってもいいが、本当のお前が生まれてくるのか」と。「もし悟れなかったら世間に笑われます」との答えに「この煩悩まみれのタワケ者めが」と一喝されました。禅宗の碧巌録(へきがんろく)にあるエピソードだそうです。
 旧約のコヘレト3章に「すべて定められた時がある」とあります。「良いときも悪いときも」神の手の中にあります。ステファノもフィリポも、迫害の中で神によって導かれ、彼らにしかできない仕事を全うしました。それが天命であり天職でした。
 迫害で追われてサマリアに来たフィリポは、そこでみ言葉の種を蒔き、耕しました。しかし収穫はペトロとヨハネに委せます。
 つぎに「南に向かい、荒れた地へ行け」と聖霊はフィリポに命じます。彼は「すぐさま出発し」エルサレム、ヘブロン、ベエルシェバ、そして地中海に面したガザへの街道を下りました。
 ガザは昔から南の勢力と北の勢力が奪い合った交易の要衝で、その当時、古いガザは荒れ果てていました。
 すると前方に立派な馬車が見えす。聖霊は「行け、あの車を追え」とフィリポを促します。やっと追いつくと聖書の一節が聞こえてきました。イザヤ書の「苦難の僕」のところです。
 馬車にぴったりついて小走りしながら声を掛けます。「読んでいることが分かりますか」「いや、さっぱり。手引きをしてくれるといいんですがね」と声の主。こうして、はるばるエチオピア(現在の南スーダン)からエルサレムへ来たカンダケ王朝の高官は、フィリポを通じて「ついに分かった」という経験をしたのです。
 「すべてに時あり」ギリシャ語でカイロス(時)は、事が成る瞬間を意味します。フィリポと高官は一期一会でしたが、まさに「啐啄」が起こったのです。
 お仕着せの「教え」ではなく、煩悩まみれの「悟り」でもなく、まっすぐな者同士の出会いによって神の「時」が成就する。これこそが聖霊の働きです。
 私にとってフィリポは誰だったのか。教会にとって「宦官:求道者」は誰なのか。
 私たちの人生も、「散らされ」「出会わされ」「適任者に委ね」「すぐに出かけ」「ぴったりついて走り」「臆せずに声をかけ」神の国への道を喜びに溢れて進んでいくのです。

2015年5月11日月曜日

2015.5/10 母はすべて心に留めていた

◆(列王上17:17-24  ルカ2:41-52)
 マリアはこのことを心にとめ、その意味を思い巡らしていた(2:19)
 イエスは言った「わたしを探したとは、どういうことですか。私が父の家にいるはずだと分からなかったのですか。両親にはイエスの言葉の意味が腑に落ちなかった。・・・・
イエスはナザレに行き、両親に従って暮らした。母親はこのことをすべて心に納めていた。
(2:49-51)(本田哲郎訳:ルカによる福音書)

 幼少期のイエスはどんな子だったのか、ルカだけが教えてくれます。12歳になったばかりの少年が、エルサレムのどこに興味をもっていたのか、自分が何者かを確かめたかったことが察せられます。数え切れないほどの羊や牛が次々と殺され、大量の血が溝の中を流れていくの見てどう感じたでしょう。こんなことを天の父は望んでいらっしゃるのだろうか。
 神殿の行事も終わり、ちょっとした時間を見つけて、年配者に律法の質問をしたり、質問されたりしてすっかり夢中になってしまい、約束の時刻を忘れたのかも知れません。
 村人と帰路にあった両親は、次の日イエスがいないのに気づいて引き返しながら、さんざん探して3日後、境内で議論の輪に加わっている息子を見つけたのです。
 マリアは叱ります「勝手なことして、どんなに心配したか分かっているの?」これに生意気な返事をする息子。しかし、マリアの受け取り方がとても興味深い。
 若くて慣れない土地でお産したばかりのマリアは羊飼いたちの不思議な話と体験を「すべて心に納めて思い巡らし」あれから12年。弟や妹の面倒をよく見る長男が、なぜあんな返事をしたのか。「神殿が父の家? いつか分かるはず」と心に納めた。
 わが子イエスを見失う(十字架の上で殺される)、さんざん探し回る(3日間の絶望)、そしてエルサレムで見つかる(復活の主)このエピソードにはキリストのモチーフが重ねられているのか。
 カトリック教会ではマリアは特別な聖人と見られている。キリストと並んで神に祈りをとりつぎ、人々を救う権威が信じられている。
 しかし福音書のマリアはそうではない。招かれた婚礼で葡萄酒が底をつきそうなのを知り、気配りしたマリアが息子に「葡萄酒がなくなりました(何とかして下さい)」と願う。ところが息子は「婦人よ、私と何の関わりがあるのです。わたしの時はまだです」とつれない。この時マリアはイエスに従い信じ切るよう求められている一人の女性なのです。フツウの母親ならばどう対応したでしょう。
 マリアが素晴らしいのは、神からの権威とか、肉親の情や親の権利でもなく、ただ信仰による絆へと導かれ、そして従ったことです。
 主イエスは死の直前「婦人よ、ご覧なさい。あなたの息子です」と弟子のヨハネを信仰の家族として新しく結びつけられたのです。


母の日
 「お母さん、いつも**ありがとう」とカーネーションや贈り物によって感謝を表す行事は大事な遺産です。しかし母の日の本来の精神はどこにあるのでしょうか。
 母の日は110年程前の米国で、亡き母クララ・ジャーヴィスを慕う娘アンナが礼拝堂をカーネーションで一杯にして記念会をしたことが始まりです。母親は26年間も教会学校で子どもたちに神の愛を教えました。特に十戒の第5戒「汝の父と母を敬え」は娘の記憶に深く刻まれ「母さん、信仰を受け継いだことは何よりの贈り物でした」そういう母への感謝が、教会から始まり、花を贈る習慣として商業的に拡がったのです。

2015年5月3日日曜日

2015.5/3 ただただ、感謝して

(申命記8:11-18、使徒言行録8:14-25)
 神の贈り物を財貨で手に入れられると、おまえは見くびっている。こういう事柄に関して、おまえが関与する余地はまったくない。おまえの心は神にまっすぐ向いていないからだ。
 おまえのそういう間違った考え方を、低みに立って見直しなさい。おまえの心のそういう思いを、なんとか赦してもらえるように、主に祈りなさい。 (本田哲郎訳:使徒言行録8:21-22)

 魔術師シモンは、フィリポの語る福音と徴を信じてバプテスマを受けました。神を信じ、イエスの十字架の赦しを受け入れて新しく生きはじめたということです。しかし、シモンは自分の能力と、強烈な個性、支配欲のために大きくつまずきます。
 フィリポの伝道によってサマリアでぞくぞくと信者が生まれました。11章19節によると、伝道対象はユダヤ人のみで、異邦人伝道はまだ先のことです。そこへペトロとヨハネがエルサレム教会から派遣されて、彼らが聖霊を受けるようにと祈りました。
 二人がそれぞれ信者の頭に手を置いて祈ったのでしょう。すると信者たちに聖霊が与えられました。
 これを見て「その素晴らしい力を私に買わせて下さい」とシモンは大金を差し出したのです。魔術本が金で買えたように、聖霊を与えるわざも同じと考えてのことです。
 ただちにペトロは「お前も金も消え失せろ」と激しく断罪します。ちょうどペトロが(マルコ8:33)「サタン、引き下がれ。お前は神のことを思わず、人間の判断をしている」とイエスから激しく叱られたようにです。
 けれども、ペトロの激しい断罪は救を指し示しています。「お前の心が神の前に正しくないからだ。悔い改めて主に祈れ。そうすれば赦されるかも知れない」
 愛があるからこそ、はっきりと言うのです。そして、それにも応じない人には、本当の裁きが訪れるのです。
 私たちは教会で「父と、子と、聖霊の名によって(マタイ28:19)」バプテスマを受けるのですが、新約聖書には
①ヨハネの(水の)バプテスマ、
②イエスキリストの名(キリスト)のバプテスマ、
③聖霊のバプテスマ、
④聖霊と火のバプテスマなどが記されています。
 聖霊は神の見える働きです。聖霊を表す言葉として風とか息が用いられてきました。目に見えない働きが、働きを受けた対象の変化によって知ることができるからです。
 たとえば、空の雲が流れ、木々の葉が揺れることによって風の働きや大きさが分かり、息をしているかどうかによって生きているかどうか、大丈夫かどうか判断できます。
 聖霊は、神さまからの自由で好意を込めた働きかけであり、贈り物です。ただただ感謝して受け、心をまっすぐに神さまに向けて命を頂く。そこに人生があるのです。

憲法記念日
 67回目の憲法記念日です。日本国憲法は1946年11月3日に交付され47年5月3日に施行され48年には「国民の祝日」で祝われるようになりました。
 今、平和主義、主権在民、基本的人権はどうなっているでしょうか。聖書はすべての民の歴史を示します。


2015年4月30日木曜日

2015.4/26 聴く耳のある人、ない人

 (イザヤ書52:7-10  使徒言行録8:5-13)
 ところで、シモンという男がこの町で以前から魔術を行い、サマリアの人々を驚かし、 自分を何か大いなる者のように言いふらしていた。(岩波版:使徒言行録8:9)

 Tさんは「リンゴが赤くなると、医者が青くなる」の喩えをあげ「自分は医者だけれど、僕たちにできることはほんの少しで、病気を治せるのは神様だけなんだよ」と子ども礼拝でよく語っておられました。その方とは伝道や平和の方法で少し意見が違って、たびたび礼拝後も夕方まで喧々がくがく論争したことが懐かしい思い出です。
 エルサレムを追い出されてサマリアにきたフィリポは「神の国とキリストの名」を告げて回りました。体の不自由な人、心を病む人が次々に癒やされる「しるし」は評判となって拡がり、その町に大きな喜びが生まれました。
 かつて主イエスが井戸の傍らで一人の女性と交わした信仰問答がきっかけになり、サマリアで大歓迎された状況(ヨハネ4章)にそっくりです。「しるし」は人々を興奮させます。
 サマリアには魔術で人を驚かし「大いなる者」と自称するシモンという男がいました。町の人はシモンの魔術を「大いなる力」と呼び、魔術の虜になっていました。
 ところが、フィリポが町にやってきて、イエスキリストの名の福音を説き、バプテスマを受ける人が増えてくると、シモンも「信じて?」バプテスマを受け、フィリポの「大いなるしるし、わざ」に驚嘆して付きまとうようになりました。
 「金や銀はない。イエス・キリストの名によって立ち上がり歩きなさい」とペトロに命じられて歩けるようになった男(3章)に似ていますが心根は全く違います。下心があったのです。
 「魔術=マジック」は特殊な技術で、高価な秘密です。19章に祈祷師が聖霊によってひどい目に遭い、悔い改めて高価な魔術本を焼き捨てる記事があります。
 サマリアの人々もシモンもそう簡単には信仰に入れません。「徴を見せて欲しい。そうしたら信じられる」という本音は信者になってからもあります。
 その高慢と誘惑から自由になるには、何度も主の赦しを経験し、真心からイエスに従うしかありません。
 イエスは「主よ、主よと私を呼びながら、なぜ私の言うことを行わないのか。私のもとに来て、私の言葉を聴き、それを行う人が皆、どんな人に似ているか教えよう」(ルカ6:46-)と言われます。
 「大いなる者」ではなく「聴く耳のある人」でありたい。

2015年4月18日土曜日

2015.4/19 いのちの種を蒔こう

(イザヤ書60:14-22、使徒言行録8:1-8)
 その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散らされていった。(使徒言行録8:1)
 イエスは「彼を信じる人が一人も滅びないで、永遠の命を得るため(ヨハネ3章)」にこの世にお生まになりました。
 神の意志をあらわすために、この世の知恵や常識では矛盾としか思えない神の命令に徹底的に従われました。民の指導者の理不尽な仕打ちにさえ耐えて。
 そうしたイエスを主と仰いで従った人々が、同じような不名誉や死を甘受したこと、同胞のユダヤ人から弾圧され虐殺されたことが新約聖書に記されています。これは神の失敗、神の誤算なのでしょうか。
 福音とはうれしい知らせ、を意味します。元々は戦争に勝った知らせのことです。敗者となれば名誉を奪われ奴隷とされ国は消滅しました。勝利したその時は福音でも、恐ろしい経験を忘れてしまえば、戦争を繰り返し、死の恐怖におびえなければなりません。
 福音は、教会によってずいぶん違う意味で使われるようになりました。神が死の恐怖から永遠に解放して下さったという喜び、一人を救うために自分を差し出すことができる喜びです。福音を拒む人には、ステファノの生き方や死に方は理解できないでしょう。
 さて、ステファノへの暴力はギリシャ系信者への弾圧にエスカレートしました。本当に理不尽なことです。けれども、この受け入れがたい事実が、神の計り知れない計画と結果を教えてくれます。
 狭いエルサレムで爆発的に教会は大きくなりました。組織も整い信者も増え続け、献金もどんどんささげられるようになったとします。その時、指導者はどんな展望を持つでしょうか。みことばを忘れるなら、そこに立たないなら、権威的でこの世的な教会になっていくに違いありません。
 神さまは、麦に喩えて福音の拡げ方を示されます。食べてしまえばおしまいの穀物の種。農夫は大切な種を畑に蒔きますが、豊作になるかどうかは、あらかじめ分かりません。ただ「蒔かぬ種は生えぬ」です。
 イエスは言われました。「アーメン、アーメン。一粒の麦は地に落ちて死ななければ一粒のままである。だが、死ねば多くの実を結ぶ(ヨハネ12:24)」その言葉へ信頼し従うのが信仰生活です。
 散らされた人々は着の身着のままだったに違いありません。ここで「散る」という単語は「種をまき散らす」というパレスティナでの農作業風景をあらわしています。
 エルサレムを追われた信徒たちが持ち出せたものは「イエスの名、福音の種」だけでした。そして逃亡先はユダヤ・サマリア地方。
 そこはイエスがすでに耕されていた畑(ヨハネ4章)でした。「涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈り入れる。種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は、束ねた穂を背負い、喜びの歌をうたいながら帰ってくる(詩126)」が実現し始めています。
 私たちは25年目の歩みへと押し出されました。今、吹いてくる風に載せて「福音の種」を蒔きにでかけましょう。

2015.4/12 主の言葉を思い出しなさい 

(創世記15:1-6、ルカによる福音書24:1-12)
 ああ、ものわかりがわるく、心のにぶい人たちだ。預言者たちが告げたことを、あなたたちは信頼をもって受けとめようとしていない。キリストはこういう苦しみを受けてこそ、栄光に入るはずではなかったのか。(ルカ24:25 本田哲郎訳)

 3月21日「四日市公害と環境未来館」がオープンしましたが、開館までの道のりはとても険しかったそうです。
 1960年頃からの飛躍的な工業化で経済発展した日本各地では、コンビナートの煤煙や自動車の排ガスで空はかすみ、喘息患者が続出しました。私が中学の頃の教科書には、工業化の光と同時に陰の部分も書かれてはいましたが、患者たちの日々の苦しみや救済は後回しにされ、公害防止が制度化され青い空が回復しても「公害の歴史と教訓」を伝える会館の建設は、政治的には邪魔者だったのです。
 命に関わる大事なメッセージなのに、人々の心に届かない。大切な人の遺言なのに遺された人々がその意味をくみ取れない。
 しかし、時が満ちると「いのちの言葉」は必ず人々を動かし始めます。イエスの復活の出来事は、それを証言しています。
 イエスを慕う女性たちが、週の初めの日の出前、準備していた香料を携えてイエスの墓に行きました。すると墓の「大きな丸石」が脇にあり、中に入り確かめると遺体がなくなっていました。せめてイエスをきれいにしてあげたい、思いがかなわず途方に暮れていると(原文には、見よ)二人の天使が現れました。突然、輝く見知らぬ人が目の前にいれば誰だって怖くなります。「なぜ、生きた方を死人の中に捜すのか」
 主イエスは、わずか数ヶ月前「必ずこうなる」と何度も弟子たちに言われました。それは恐ろしい内容でした。私たちは望まない話を何度聞いても、真に受けられないのです。恐ろしい話の結末が喜びでも、前半の内容に耳をふさいでしまい、全体を聞き損ねています。けれども、幸いなことに大好きなイエスさまの声が耳に残っていました。「そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した」そして何が起こっているのかじゅうぶん分かっていないのに、喜びのあまり飛んで帰って「主はよみがえられた」と報告しました。ところが、男弟子には相手にされなかったのです。これも現実。
 イエスの弟子を片っ端から捕まえて死に追いやっていた青年サウロは復活のイエスに出会って180度変えられました。「最も大切なこととして私があなた方に伝えたのは、私も受けたものです。すなわちキリストが聖書に書いてある通り、私たちの罪のために死んだこと。葬られたこと。また聖書に書いてある通り三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後12人に現れたことです。次いで・・そして最後に・・私にも」と。

2015.4/5 わたしは今日、あなたと共にいる 

(ヨブ記19:21-27、ルカ23:39-43)
 わたしは知っている。わたしをあがなう方は生きておられ、ついには塵の上に立たれるであろう。この皮膚がそこなわれようとも、この身をもって、わたしは神を仰ぎ見るであろう。このわたしが仰ぎ見る。他ならぬこの目で見る。(ヨブ記19章)

 機長は相棒がまさか全員を奈落の底へ突き落とすとは思いもよらず「ちょっとトイレに、いいかな?」と、運命を<死にとりつかれた人>に託してしまいました。
 子どもたちが旅行するとき、無事帰る日まで何度も祈ります。「神さま、わが子の故に同じ飛行機、列車に乗る全ての人をお守り下さい」と、私にはそれしか出来ません。
 格安旅行が危険で、さまざまな対策をした交通機関が絶対安全とは限りません。
 また、この瞬間は健康そうでも次の瞬間に死んでいるかも知れない、生きていること自体、奇跡の連続ではないでしょうか。
 仮に望まない結果であっても「いのちを支配されている方」を信じる人には「生きるにも死ぬにもキリスト」という平安があります。
 主イエスの十字架の両脇に磔された強盗が言いました。一方は「お前はキリストだろう。なら俺らもあんたも救って見ろ」と。もう一人は「何てこと言うんだ。お前は神を恐れないのか」と相棒をたしなめて「イエスよ、あんたが自分の国に行く時には俺のことも思い出してくれよ」と頼みました。少し前まで二人は同じやくざ者でした。
 前者はイエスに期待もせず、罪も知らず「救って見ろ」と凄んだだけ。後者は
①「お前は神を恐れないのか」(神の裁きを認め、死んだらどうなるかまじめに考えた)。
②「俺たちは自業自得なのだから」(罪の自覚と告白)。
③「この人は何も悪いことはしていない。イエスよ・・思い出して」(主がどこから来たかへの期待と信頼)があり、
十字架に釘づけられても(自業自得も、不運も含め)イエスに委ねた、その違いです。
 生きていることは、数限りない選択の連続です。何が正しく何が間違いか、その時には分からないもの。
 しかし、決定的な選択の場面は必ず訪れます。強盗たちも生きるためにさまざまな選択をし、自分の良心を置き去り、なるがままに成り下がって、十字架はりつけられました。しかし、そこに最後の選択が用意されていたのです。
 復活とか永遠の命とは、真実な人格にしっかりとつながる出来事。人間の側からはそれを要求することは出来ません。
 ただ、差し出された招きの手に、自分の手を差し出し、しっかりと受け止めてもらうだけです。
 主イエスは救いを願う人を誰も拒みません。あの強盗にも「わたしは今日、あなたと共にいる」と約束して下さったのです。

2015.3/29 この罪を彼らに負わせないで下さい 

(イザヤ53:6-12、使徒言行録7:44-60)
ダビデは神の好意を得ていました。彼はヤコブの家(イスラエル)のために、まともな幕屋が欲しいと願いました。
そして、ソロモンがダビデの意思をついで立派な建物を建てました。しかし、崇高なお方は、人間の手で造ったものにはお住みになりません。(本田哲郎訳)

 街で学生に「上杉鷹山」「山田方谷」「二宮尊徳」って人、知ってる?と漢字の名を見せても「それ誰?読み方わかんねー」と言われかねない。
 若いアメリカ人宣教師から聞いた話。キリスト教への関心について渋谷でアンケートをしたら「イエスキリストって復活した人でしょ」と何人もが知っていて驚いていた。「じゃ信じる?」と踏み込むと「うち、仏教徒だし」と体よくかわされた。
 ユダヤの若者に「ダビデ、ソロモン、アブラハム、イサク、ヤコブ、モーセ、イザヤ、エレミヤ」と聞いたらどうだろう。世界のどこに住んでいても、我が子に宗教、歴史、偉人、伝統への誇りを徹底教育している民族だから、答えは明白だ。

 さてステファノは、アブラハムから預言者に至る歩みを「私たちの」と前置きして話してきた。しかし、今自分を訴えている人々の信仰との違いを,はっきりと言わなければならなくなってきた。

 預言者の生きた言葉ではなく、石の律法と石の神殿にしがみついている。だから「かたくなで,心と耳に割礼のない人達、あなた方はいつも聖霊に逆らっています」と信心の方向転換を訴えた。そこはユダヤ人の急所だった。
 アブラハムの神は、信仰によって「祝福の源」にすると約束をされた。アブラハムは勇気ある信仰者であったが不信仰な面もあったし、ダビデもソロモンも同じ轍を踏んだ。
 私たちは神の導きに素直に従うとき祝福される。しかし自分の心のままに行動するとき大失敗をするものだ。その時こそ預言者、聖霊が私たちに迫り、祝福へ連れ戻そうとされる。
 にもかかわらず「だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に(2テモテ4:3)」してしまう。
 「父はアブラハムだ」とユダヤ人が主張した時、イエスは「それならアブラハムの業をしなさい(ヨハネ8:39)」と言われた。ステファノは全身全霊で悔い改めを迫って殺された。殺しに賛成した人々の中に律法の学徒がいた。のちのパウロその人だ。
 本物の信仰が命がけの証になることをステファノは示している。教会は「証し」と「殉教」を同じ言葉で表し、イエスの最後の祈り(ルカ23:34)を受け継いできた。
 「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい(マタイ5:44)」「一粒の麦」は地に落ちて死に、多くの日の後に、豊かな実を結ぶことを、先輩たちは証ししてきた。

2015年3月23日月曜日

2015.3/22 私たちはこうして救われた(2)

旧約聖書 申命記18章
 18:15 あなたの神、主は、あなたのうちから、あなたの同胞の中から、私のようなひとりの預言者をあなたのために起こされる。彼に聞き従わなければならない。 18:16 これはあなたが、ホレブであの集まりの日に、あなたの神、主に求めたそのことによるものである。あなたは、「私の神、主の声を二度と聞きたくありません。またこの大きな火をもう見たくありません。私は死にたくありません。」と言った。
 18:17 それで主は私に言われた。「彼らの言ったことはもっともだ。 18:18わたしは彼らの同胞のうちから、彼らのためにあなたのようなひとりの預言者を起こそう。わたしは彼の口にわたしのことばを授けよう。彼は、わたしが命じることをみな、彼らに告げる。 18:19 わたしの名によって彼が告げるわたしのことばに聞き従わない者があれば、わたしが彼に責任を問う。

新約聖書 使徒言行録7章
 7:17 神がアブラハムになさった約束の実現する時が近づくにつれ、民は増え、エジプト中に広がりました。 7:18 それは、ヨセフのことを知らない別の王が、エジプトの支配者となるまでのことでした。
 7:19 この王は、わたしたちの同胞を欺き、先祖を虐待して乳飲み子を捨てさせ、生かしておかないようにしました。 7:20 このときに、モーセが生まれたのです。神の目に適った美しい子で、三か月の間、父の家で育てられ、 7:21その後、捨てられたのをファラオの王女が拾い上げ、自分の子として育てたのです。 7:22 そして、モーセはエジプト人のあらゆる教育を受け、すばらしい話や行いをする者になりました。
 7:23 四十歳になったとき、モーセは兄弟であるイスラエルの子らを助けようと思い立ちました。 7:24 それで、彼らの一人が虐待されているのを見て助け、相手のエジプト人を打ち殺し、ひどい目に遭っていた人のあだを討ったのです。 7:25 モーセは、自分の手を通して神が兄弟たちを救おうとしておられることを、彼らが理解してくれると思いました。しかし、理解してくれませんでした。
 7:26 次の日、モーセはイスラエル人が互いに争っているところに来合わせたので、仲直りをさせようとして言いました。『君たち、兄弟どうしではないか。なぜ、傷つけ合うのだ。』 7:27 すると、仲間を痛めつけていた男は、モーセを突き飛ばして言いました。『だれが、お前を我々の指導者や裁判官にしたのか。 7:28 きのうエジプト人を殺したように、わたしを殺そうとするのか。』 7:29 モーセはこの言葉を聞いて、逃げ出し、そして、ミディアン地方に身を寄せている間に、二人の男の子をもうけました。
 7:30 四十年たったとき、シナイ山に近い荒れ野において、柴の燃える炎の中で、天使がモーセの前に現れました。 7:31 モーセは、この光景を見て驚きました。もっとよく見ようとして近づくと、主の声が聞こえました。 7:32 『わたしは、あなたの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である』と。モーセは恐れおののいて、それ以上見ようとはしませんでした。
 7:33 そのとき、主はこう仰せになりました。『履物を脱げ。あなたの立っている所は聖なる土地である。 7:34 わたしは、エジプトにいるわたしの民の不幸を確かに見届け、また、その嘆きを聞いたので、彼らを救うために降って来た。さあ、今あなたをエジプトに遣わそう。』 7:35 人々が、『だれが、お前を指導者や裁判官にしたのか』と言って拒んだこのモーセを、神は柴の中に現れた天使の手を通して、指導者また解放者としてお遣わしになったのです。 7:36 この人がエジプトの地でも紅海でも、また四十年の間、荒れ野でも、不思議な業としるしを行って人々を導き出しました。
  7:37 このモーセがまた、イスラエルの子らにこう言いました。『神は、あなたがたの兄弟の中から、わたしのような預言者をあなたがたのために立てられる。』 7:38 この人が荒れ野の集会において、シナイ山で彼に語りかけた天使とわたしたちの先祖との間に立って、命の言葉を受け、わたしたちに伝えてくれたのです。
  7:39 けれども、先祖たちはこの人に従おうとせず、彼を退け、エジプトをなつかしく思い、 7:40 アロンに言いました。『わたしたちの先に立って導いてくれる神々を造ってください。エジプトの地から導き出してくれたあのモーセの身の上に、何が起こったのか分からないからです。』 
 7:41 彼らが若い雄牛の像を造ったのはそのころで、この偶像にいけにえを献げ、自分たちの手で造ったものをまつって楽しんでいました。
 7:42 そこで神は顔を背け、彼らが天の星を拝むままにしておかれました。それは預言者の書にこう書いてあるとおりです。
 『イスラエルの家よ、/お前たちは荒れ野にいた四十年の間、/わたしにいけにえと供え物を/献げたことがあったか。 7:43 お前たちは拝むために造った偶像、/モレクの御輿やお前たちの神ライファンの星を/担ぎ回ったのだ。だから、わたしはお前たちを/バビロンのかなたへ移住させる。』


 モーセは....いのちのことばを受け、私たちに伝えてくれた方でした。このモーセに対して、われらの父祖たちは素直であろうとはせず、かえって反発して、エジプトに思いをはせるのでした。(本田哲郎訳)
 「親の心、子知らず」父である神は子である人間に絶えず心を傾け、無くてならぬもので養って下さいます。幼い時はその愛を素直に受け入れていたのに、自我が心の主人になってしまうと、目には見えない親の愛を忘れ、うっとうしいと思い、顔を避けて没交渉にさえなります。アダムとイブ、その子カインと続く物語に表れています。
 ステファノはモーセの時代を振り返ります。「神がアブラハムと交わした約束の時が近づくにつれ」と記されています。
 こんな状況があります。「いよいよ完成か」という時に、神の意地悪、神にだまされた、とさえ思うような誘惑や試練がやってくるのです。まっとうな親は子が<試練を乗り越える強さ>を身につけることを願うはずです。<誘惑と挑戦の違いを見極める知恵>も持たせたいでしょう。ところが金に余裕が出来ると親は子どもの要求するまま熟慮なしに与え、増長した子はもっと無理な要求をするようになり、間違いに気づいて対応を変えても、手遅れになることが多いのではないでしょうか。まさにステファノは<神との仲介者モーセ>に逆らう選民の堕落を思い出させました。
 ここで、道は決定的に分かれます。「どうすれば良いのか」真剣に自問し助けを求めるか、差し出された手を拒み、真実と心にふたをして、堕落の道を突き進むかです。
 愛をもって厳しいことを言ってくれる人はめったにいません。「御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている」「光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇を好んだ。それが、もう裁きになっている」(ヨハネ3:16-21)
 残念なことに100㌫、私たちは闇を愛する性分が捨てられません。自分の決心や力ではどうすることも出来ません。しかし、闇から解放される道が示されています。
 「光を受け入れ、光が来たと信じて」何度も何度もやり直す生き方です。人生の最後まで「未完成ではあるけれど、行くべき方向を目指して」歩く生き方です。
 モーセは民の運命を背負い、生まれてすぐに殺されるところでした。しかし、不思議な導きで王女の養子となり、国王の王子として育てられました。立派なエジプトの後継者となれる矢先に、あの事件を起こし、「人間を恐れて」荒れ野に逃亡したのです。
 40年後、逃亡先の荒れ野で神と出会います。荒れ野は人生の墓場ではありません。裸一貫の身になった時、神の声に出会い、神を信じるチャンスに恵まれる場なのです。

2015.3/15 私たちはこうして救われた(1)

旧約聖書 出エジプト記3章
 3:7 主は仰せられた。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを確かに見、追い使う者の前の彼らの叫びを聞いた。わたしは彼らの痛みを知っている。 3:8 わたしが下って来たのは、彼らをエジプトの手から救い出し、その地から、広い良い地、乳と蜜の流れる地、カナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人のいる所に、彼らを上らせるためだ。 3:9 見よ。今こそ、イスラエル人の叫びはわたしに届いた。わたしはまた、エジプトが彼らをしいたげているそのしいたげを見た。 3:10 今、行け。わたしはあなたをパロのもとに遣わそう。わたしの民イスラエル人をエジプトから連れ出せ。」
 3:11 モーセは神に申し上げた。「私はいったい何者なのでしょう。パロのもとに行ってイスラエル人をエジプトから連れ出さなければならないとは。」 3:12 神は仰せられた。「わたしはあなたとともにいる。これがあなたのためのしるしである。わたしがあなたを遣わすのだ。あなたが民をエジプトから導き出すとき、あなたがたは、この山で、神に仕えなければならない。」

新約聖書 使徒言行録7章
 7:1 大祭司が、「訴えのとおりか」と尋ねた。 7:2 そこで、ステファノは言った。
「兄弟であり父である皆さん、聞いてください。わたしたちの父アブラハムがメソポタミアにいて、まだハランに住んでいなかったとき、栄光の神が現れ、 7:3 『あなたの土地と親族を離れ、わたしが示す土地に行け』と言われました。 7:4 それで、アブラハムはカルデア人の土地を出て、ハランに住みました。
神はアブラハムを、彼の父が死んだ後、ハランから今あなたがたの住んでいる土地にお移しになりましたが、 7:5 そこでは財産を何もお与えになりませんでした、一歩の幅の土地さえも。しかし、そのとき、まだ子供のいなかったアブラハムに対して、『いつかその土地を所有地として与え、死後には子孫たちに相続させる』と約束なさったのです。 7:6 神はこう言われました。『彼の子孫は、外国に移住し、四百年の間、奴隷にされて虐げられる。』 7:7 更に、神は言われました。『彼らを奴隷にする国民は、わたしが裁く。その後、彼らはその国から脱出し、この場所でわたしを礼拝する。』
 7:8 そして、神はアブラハムと割礼による契約を結ばれました。こうして、アブラハムはイサクをもうけて八日目に割礼を施し、イサクはヤコブを、ヤコブは十二人の族長をもうけて、それぞれ割礼を施したのです。 7:9 この族長たちはヨセフをねたんで、エジプトへ売ってしまいました。しかし、神はヨセフを離れず、 7:10 あらゆる苦難から助け出して、エジプト王ファラオのもとで恵みと知恵をお授けになりました。そしてファラオは、彼をエジプトと王の家全体とをつかさどる大臣に任命したのです。
 7:11 ところが、エジプトとカナンの全土に飢饉が起こり、大きな苦難が襲い、わたしたちの先祖は食糧を手に入れることができなくなりました。 7:12 ヤコブはエジプトに穀物があると聞いて、まずわたしたちの先祖をそこへ行かせました。 7:13 二度目のとき、ヨセフは兄弟たちに自分の身の上を明かし、ファラオもヨセフの一族のことを知りました。
 7:14 そこで、ヨセフは人を遣わして、父ヤコブと七十五人の親族一同を呼び寄せました。 7:15 ヤコブはエジプトに下って行き、やがて彼もわたしたちの先祖も死んで、 7:16 シケムに移され、かつてアブラハムがシケムでハモルの子らから、幾らかの金で買っておいた墓に葬られました。


 兄弟たちよ、父たちよ、聞きなさい。(島津・逐語訳)
 丹精込めて育てたウイスキーの原酒倉庫が爆撃されようとした時、「命がけで守る」と主人公はその場に踏ん張ります。しかし社長を尊敬し慕う部下が「死んだらおしまいじゃ」と叱りつけて避難させた朝ドラの一場面。「命がけ」の価値あるものとは?
 当局にしょっ引かれて弁明するステファノ。大祭司を前にして「聞きなさい」と。これが被告の態度でしょうか。新約聖書で一番長い(10分で読める)説教です。いまは受難節、主イエスの十字架への道行き、苦難を黙想する期間です。主はかつて弟子たちに教えました。「総督や王の前に引き出され、彼らや異邦人の前で証をすることになる。その時、何をどう言おうかと心配するな。言うべきことは教えられる。話すのはあなたがたの中で語って下さる父の霊である」まさにステファノに起こった事です。
 主イエスは大祭司カイアファの前では沈黙を通され、しつこく自白を迫る大祭司に向かって「あなたたちはやがて、人の子が全能の神の右に座し、天の雲に乗って来るのを見る」と言った後は沈黙されました。その一言が決定的な冒涜として死が宣告されたのです。
 一方、ステファノは語り続けました。それは自分たちの信仰の歴史でした。アブラハムに現れ、約束の地に導き、信仰と祝福の相続人として育てようとされた神の計画、忍耐をもって寄り添った神の慈愛についてです。しかしそれは耳に痛く、聞きたくない先祖の態度でした。旧約聖書のエッセンスを凝縮した民の栄光と挫折の物語です。
 「聞きなさい」生きるか死ぬかの時に、丁寧語で言われたりはしません。相手が誰であろうと、緊急を要するときは「命令形」です。あんな言い方をしてしまった、と後悔するのは、相手に猶予を与えて、結果的に死んでしまった時です。
 ステファノは大祭司をも含めて「今こそ主イエスの名によって罪を赦していただきなさい。イエスを死に定めた罪を、ローマ人の手によって十字架につけて殺した罪を、神の再三の呼びかけを無視した罪を、かたくなな心を」と、たたみかけるように、イスラエルの歴史に現れた神の救いの手と言葉を語ったのです。
 けれども結果はイエスと同じでした。この裁判には証人の他に、一般の人が傍聴していたのでしょう。ステファノの説教がイエスのことに及ぼうとする直前に「人々はこれを聞いて激しく怒り、ステファノに向かって歯ぎしりし」ついに彼を殺したのです。「こうして救われたのではなかったですか」ステファノの声が耳に響いています。

2015年3月9日月曜日

2015.3/8 神の好意と力にあふれて

旧約聖書 出エジプト記34章
 34:1 主はモーセに言われた。「前と同じ石の板を二枚切りなさい。わたしは、あなたが砕いた、前の板に書かれていた言葉を、その板に記そう。 34:2 明日の朝までにそれを用意し、朝、シナイ山に登り、山の頂でわたしの前に立ちなさい。 34:3 だれもあなたと一緒に登ってはならない。山のどこにも人の姿があってはならず、山のふもとで羊や牛の放牧もしてはならない。」
 34:4 モーセは前と同じ石の板を二枚切り、朝早く起きて、主が命じられたとおりシナイ山に登った。手には二枚の石の板を携えていた。
 34:5 主は雲のうちにあって降り、モーセと共にそこに立ち、主の御名を宣言された。 34:6 主は彼の前を通り過ぎて宣言された。「主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、 34:7 幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す。しかし罰すべき者を罰せずにはおかず、父祖の罪を、子、孫に三代、四代までも問う者。」
 34:8 モーセは急いで地にひざまずき、ひれ伏して、 34:9 言った。「主よ、もし御好意を示してくださいますならば、主よ、わたしたちの中にあって進んでください。確かにかたくなな民ですが、わたしたちの罪と過ちを赦し、わたしたちをあなたの嗣業として受け入れてください。」

新約聖書 使徒言行録6章
 6:8 さて、ステファノは恵みと力に満ち、すばらしい不思議な業としるしを民衆の間で行っていた。 6:9 ところが、キレネとアレクサンドリアの出身者で、いわゆる「解放された奴隷の会堂」に属する人々、またキリキア州とアジア州出身の人々などのある者たちが立ち上がり、ステファノと議論した。 6:10 しかし、彼が知恵と"霊"とによって語るので、歯が立たなかった。
 6:11 そこで、彼らは人々を唆して、「わたしたちは、あの男がモーセと神を冒涜する言葉を吐くのを聞いた」と言わせた。 6:12 また、民衆、長老たち、律法学者たちを扇動して、ステファノを襲って捕らえ、最高法院に引いて行った。 6:13 そして、偽証人を立てて、次のように訴えさせた。
「この男は、この聖なる場所と律法をけなして、一向にやめようとしません。 6:14 わたしたちは、彼がこう言っているのを聞いています。『あのナザレの人イエスは、この場所を破壊し、モーセが我々に伝えた慣習を変えるだろう。』」
 6:15 最高法院の席に着いていた者は皆、ステファノに注目したが、その顔はさながら天使の顔のように見えた。

 ステファノは神の好意と力をいっぱい受け、ふしぎなことやたいへんな奇跡を民のあいだで行っていた。(本田哲郎訳)
「人は変われる」ということを聖書はたくさん示しています。よく知られているのはパウロの物語です。今朝は、ステファノに起こった物語を聴きましょう。
 ステファノの名が知られるのは、神を信じる家族が急激に大きくなったころ、「霊と知恵に満ちて、証が知られている人」が七人選び出され「執事」が生まれたときです。
 この七人の名前は、どれもギリシャ人の代表的な名前です。イエスさまを信じる人たちの日常会話は、アラム語とギリシャ語、それにラテン語だったでしょう。
 なぜなら、主が十字架に付けられたとき、十字架の上に3つの言語で「ユダヤ人の王」と皮肉を込めてピラトが書かせたからです。(ヨハネ19:20)
 さて、ステファノは「恵みと力に満ちて」執事の仕事、つまりギリシャ系の未亡人や貧しい人々のお世話をしていました。それが、単に熱心で親切なだけではなく「すばらしい不思議な業と徴」を伴っていたからすごいことです。
 神さまの「不思議な業と徴」に対して必ず楯突く人が生まれるものです。いわば、サタンの働きです。その手先になった人々は、皮肉なことにステファノと同じように外国から帰郷し、熱心に神殿に通う人々でした。
 真っ正面から衝突するのは「全く立場が違う人」ではありません。ほとんど立場が同じなのに、決定的に違うことで衝突するのです。
 この後、彼はイエスや使徒たちのように「民の議会:サンヒドリン」に連れて行かれ、尋問を受けます。その時、彼は大胆な証しをしています。彼の歴史理解は預言者のようでした。だからこそ「こんな奴は殺してしまえ」と人々が歯ぎしりしたのです。
 自分にとって不都合な真実を突きつけられると、人は二種類の反応をします。耳をふさぎ認めない人。その不都合な真実の前に、打ち砕かれ新しくなる人です。
 私たちは、どちらでしょうか。私が考えるにステファノは自分を憎み迫害する人と同じような過去を持っていた人です。その過去の過ちをイエスの十字架と使徒たちの愛によって贖われ、新しい人となったのです。
 神は打ち砕かれ新しくなった人に、溢れるばかりの好意と力を注がれました。
 誰でも主のみ言葉によって打ち砕かれ、新しくなるなら、ステファノのように「神の好意をいっぱい受け、不思議なこと、奇跡を行な」えるのです(ヨハネ14:11-14)

2015.3/1 神の言葉は蒔かれ成長する

旧約聖書 出エジプト記23章
 23:14 あなたは年に三度、わたしのために祭りを行わねばならない。
 23:15 あなたは除酵祭を守らねばならない。七日の間、わたしが命じたように、あなたはアビブの月の定められた時に酵母を入れないパンを食べねばならない。あなたはその時エジプトを出たからである。何も持たずにわたしの前に出てはならない。
 23:16 あなたは、畑に蒔いて得た産物の初物を刈り入れる刈り入れの祭りを行い、年の終わりには、畑の産物を取り入れる時に、取り入れの祭りを行わねばならない。
 23:17 年に三度、男子はすべて、主なる神の御前に出ねばならない。
 23:18 あなたはわたしにささげるいけにえの血を、酵母を入れたパンと共にささげてはならない。また、祭りの献げ物の脂肪を朝まで残しておいてはならない。 23:19 あなたは、土地の最上の初物をあなたの神、主の宮に携えて来なければならない。あなたは子山羊をその母の乳で煮てはならない。
 23:20 見よ、わたしはあなたの前に使いを遣わして、あなたを道で守らせ、わたしの備えた場所に導かせる。 23:21 あなたは彼に心を留め、その声に聞き従い、彼に逆らってはならない。彼はあなたたちの背きを赦さないであろう。彼はわたしの名を帯びているからである。 23:22 しかし、もしあなたが彼の声に聞き従い、わたしの語ることをすべて行うならば、わたしはあなたの敵に敵対し、仇に仇を報いる。

新約聖書 使徒言行録6章
 6:1 そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである。 6:2 そこで、十二人は弟子をすべて呼び集めて言った。
「わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。 6:3 それで、兄弟たち、あなたがたの中から、"霊"と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう。 6:4 わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。」
 6:5 一同はこの提案に賛成し、信仰と聖霊に満ちている人ステファノと、他にフィリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、アンティオキア出身の改宗者ニコラオを選んで、 6:6 使徒たちの前に立たせた。使徒たちは、祈って彼らの上に手を置いた。
 6:7 こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った。

 こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った。
 上方いろはカルタの「蒔かぬ種は生えぬ」は誰もが知っている諺。英語の故事にも、Harvest follows seedtime.(収穫は種蒔きの後に来る)がある。
 主イエスの種まきの話は「よく聴きなさい。種を蒔く人が種まきに出て行った」で始まっている。蒔かれた種がどうなったか気になるが、マルコ福音書(4:3)では種蒔きそのものに重点があるように思える。そして、種の確かな「生命力」にも。
 聖霊に押し出されて、打たれても打たれても神の言葉を語った弟子たちの周りにはいつの間にか、大勢の弟子たちが生まれていた。一方で、衣食住を共にする仲間たちの間に問題が生じたことが、5章から紹介されている。今回は「苦情」について。
 「苦情」と訳されている言葉は「つぶやき」とも訳される。同様に「分配」は「もてなし」、「軽んじ」は「見過ごし」、「ないがしろ」は「後回し」、「好ましくない」は「御心にかなわない」と訳した聖書もある。
 仲間が増えたのは喜ばしいけれど、思いが「人との関係」に向き始めている。言葉や習慣の違いもあってか、ギリシャ語を話す仲間の未亡人が「見過ごされる」例が増えてきたらしい。そのような雰囲気が「つぶやき」として表れてきた。
 12使徒は、まず優先順位を仲間全体で確認した。私たち個人も家族の生活も教会などの共同性も、小手先の対処療法ではあとになってひどい破綻がくる。
 使徒たちは「祈りとみことばの奉仕」を第一にします。パンの分配方法ではなく、神の向き合う生活、その上で人に向き合う生活に順序を正しくしたこと。そのために、「あなた方の中から霊と知恵に満ちて」証をしている7人選び、使徒は「祈って、手を置き」ました。
 先週水曜日、T教会のI牧師が「押しかけて」来られて、デボーションの学びをして下さった。デボーションとは献身のこと。「祈りみことばの奉仕」のことです。特別な人だけのものではなく、クリスチャン全員が第一にすべきことです。
 まだ、始めたばかりですが、朝早く起きる習慣を身につけ、まず神の前に自分を置いて今朝の御言葉を聴く。語られている言葉を蓄えて一日を過ごす。確かな祝福です。

2015年2月24日火曜日

2015.2/22 健康な教会と心身

旧約聖書 出エジプト記18章
 18:13 翌日になって、モーセは座に着いて民を裁いたが、民は朝から晩までモーセの裁きを待って並んでいた。 18:14 モーセのしゅうとは、彼が民のために行っているすべてのことを見て、「あなたが民のためにしているこのやり方はどうしたことか。なぜ、あなた一人だけが座に着いて、民は朝から晩まであなたの裁きを待って並んでいるのか」と尋ねた。
 18:15 モーセはしゅうとに、「民は、神に問うためにわたしのところに来るのです。 18:16 彼らの間に何か事件が起こると、わたしのところに来ますので、わたしはそれぞれの間を裁き、また、神の掟と指示とを知らせるのです」と答えた。
 18:17 モーセのしゅうとは言った。「あなたのやり方は良くない。 18:18 あなた自身も、あなたを訪ねて来る民も、きっと疲れ果ててしまうだろう。このやり方ではあなたの荷が重すぎて、一人では負いきれないからだ。 18:19 わたしの言うことを聞きなさい。助言をしよう。神があなたと共におられるように。あなたが民に代わって神の前に立って事件について神に述べ、 18:20 彼らに掟と指示を示して、彼らの歩むべき道となすべき事を教えなさい。 18:21 あなたは、民全員の中から、神を畏れる有能な人で、不正な利得を憎み、信頼に値する人物を/選び、千人隊長、百人隊長、五十人隊長、十人隊長として民の上に立てなさい。 18:22 平素は彼らに民を裁かせ、大きな事件があったときだけ、あなたのもとに持って来させる。小さな事件は彼ら自身で裁かせ、あなたの負担を軽くし、あなたと共に彼らに分担させなさい。 18:23 もし、あなたがこのやり方を実行し、神があなたに命令を与えてくださるならば、あなたは任に堪えることができ、この民も皆、安心して自分の所へ帰ることができよう。」
 18:24 モーセはしゅうとの言うことを聞き入れ、その勧めのとおりにし、 18:25 全イスラエルの中から有能な人々を選び、彼らを民の長、すなわち、千人隊長、百人隊長、五十人隊長、十人隊長とした。
 18:26 こうして、平素は彼らが民を裁いた。難しい事件はモーセのもとに持って来たが、小さい事件はすべて、彼ら自身が裁いた。 18:27 しゅうとはモーセに送られて、自分の国に帰って行った。

新約聖書 使徒言行録6章
 6:1 そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである。
 6:2 そこで、十二人は弟子をすべて呼び集めて言った。「わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。 6:3 それで、兄弟たち、あなたがたの中から、"霊"と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう。 6:4 わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。」
 6:5 一同はこの提案に賛成し、信仰と聖霊に満ちている人ステファノと、ほかにフィリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、アンティオキア出身の改宗者ニコラオを選んで、 6:6 使徒たちの前に立たせた。使徒たちは、祈って彼らの上に手を置いた。
 6:7 こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った。



12人は弟子の集団を呼び集めて言った。「神の告げるできごとをなおざりにして、   自分たちの食卓に奉仕するというのは好ましいことではありません」(本田哲郎訳)
 主イエスはガリラヤのナザレという村の大工の長男で、母親のそばでは家事を、父親に仕事場や呼ばれた先で農具の修理や土木仕事を見て大きくなったに違いありません。
 主の説教の中にパン焼きや掃除のたとえ、種まきや家畜のたとえ、家造りのたとえがたくさん出てきます。幼い時からシナゴーグで学んだ神の言葉と両親の教えが、生活の知恵として血肉となっていたからです。
 主イエスがそうであったように、初期の教会は家庭的で、数千人にふくれあがった信徒の生活の世話にも12使徒が中心的に関わっていました。が、それも限界でした。
 特に、言葉や出身の違う人々の間で生じたトラブルは深刻で、ペトロたちはしばしば呼び出されて仲裁にあたらねばならず、本来の説教や伝道のわざが「後回しに」ならざるを得ない事態でした。こういうことは多くの教会で経験してきたことです。
 この頃、ある若い牧師から「先生は優しいから、色々と出かけて行って忙しそうですが、大丈夫ですか?」とまじめに言われてドキンとしました。何とかしなければ。健康も教会のことも心配してくれているのです。ありがたい同労者です。
 私たちの教会は20名にも満たない小さな群れですが、必要とされる奉仕のわざは多様で沢山あります。また、地域に根ざして伝道するという願いのために奮闘しています。けれども、創立25周年を間近に、まさに原点に立ち帰ることを示されます。
 まず「祈りと御言葉の奉仕に専念する」とはどういうことか。そもそも、現実的な苦情に対応し食卓の奉仕のために忙しくしている姿があります。その現実に気がついた、放っておけないと判断したことです。
 「神の言葉を後回しにして、食事の世話をする」のは適切ではない、と。そこで12人は提案します。「あなた方の中から霊と知恵に満ちた評判の良い人を7人選びなさい」そして「信仰と聖霊に満ちている7人」を選出しました。それから12使徒は「祈って」7人の上に「手を置き」ました。
 こうして当面の問題が解決しただけでなく、祈りの奉仕と御言葉の奉仕に使徒が専念した結果、信徒の数は増え、かつての反対者さえ忠実な信徒となり加わったのです。
 今日の御言葉は、具体的な主の指図だけに恐ろしく「出来るだろうか」と尻込みしそうです。しかし忠実な人が祝福され、健康な心身になる確かな約束なのです。

2015.2.15 その言葉は、すべて王につたえねばならない 大澤秀夫牧師

2015.2/11 被造物の和解 思想・信教の自由を守る日 南部正人伝道師

旧約聖書 イザヤ書32章
32:15 ついに、我々の上に/霊が高い天から注がれる。荒れ野は園となり/園は森と見なされる。32:16 そのとき、荒れ野に公平が宿り/園に正義が住まう。 32:17 正義が造り出すものは平和であり/正義が生み出すものは/とこしえに安らかな信頼である。 32:18 わが民は平和の住みか、安らかな宿/憂いなき休息の場所に住まう。
 32:19 しかし、森には雹が降る。町は大いに辱められる。 32:20 すべての水のほとりに種を蒔き/牛やろばを自由に放つあなたたちは/なんと幸いなことか。

新約聖書 ローマ書8章
 8:20 被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。 8:21 つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。 8:22 被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。


2月11日の「建国記念の日」に、
なぜ毎年のように「思想と信仰の自由を守る」集会をするのか。
今年は特に「原発問題」を考えるのか、松本教会の南部正人先生が開会礼拝で、聖書のことばによって、分かりやすくて心にひびく言葉で語って下さいました。
 元々は神武天皇の即位と支配を祝う「紀元節」という祭日で、敗戦で廃止されていたものを、1967年に政府は新しい祝日として制定しました。天皇を神とあがめ、国の神道に服従しない宗教や思想が弾圧された歴史があったので、制定に対しては幅広い反対運動が起こり、日本基督教団も「信教の自由を守る日」を定めて抵抗しました。
 では、思想・信教の自由と「原発=原子力発電」がどうして関係するのか。原発も原爆も材料はウランです。おもに米国やオーストラリアで採掘され、先住民の土地に埋っています。彼らが代々暮らしてきた土地は奪われ、労働者として動員されて被爆し、放射性ガスは彼らの故郷や聖地をずっと汚染しています。このようなことは過去も現在も、すべての核燃料サイクルにおいて起きています。福島も青森も同様です。
 この被爆問題について、人々の言論や思想の自由は奪われています。例えば福島で地元の食材を使った給食が心配なお母さんが、子どもに弁当を持たせたことで親子でいじめに遭ったり、放射能を恐れて各地に疎開した人たちが、過剰反応だと非難されるケースが多くあります。放射能汚染や被爆の実態を発表したり調査し告発しようとしても大手のマスコミは取り上げません。このように知る権利を奪われた中で、人々はどのように生き行動するべきかという、思想や良心の自由が奪われています。
 さて、聖書はこの問題にどんなヒントを与えてくれるか。創世記では、この世界は神さまによって創造されたとあり、私たちはそう理解しています。それは少なくともこの世界は人間によって造られたものではなく、人間はその管理を委ねられているのであって勝手に破壊してはいけないということ。地球誕生から45億年。自然界のウランの93.3㌫の半減期(半分になる時間)は45億年。核は地中深くに収まって安定し、35億年という悠久の時間をかけて多様な生態系を形成し「神はお造りになった全てのものをご覧になった。見よ、それは極めて良かった(創1:31)」と。核燃料サイクルはその安定を破壊して自然界の生命を脅かしているだけでなく、制御不能なのです。
 高木仁三郎さんが須坂教会でこう言われた。「核とは本来、天上の光であり神の領域に属するものなので、そこに人間は手を出してはいけない」と。
(以上は島津による一部まとめ、
 以下は説教のまま再録)

2015年2月13日金曜日

2015.2/8 歴史を導く神のことば

旧約聖書 出エジプト記2章
 2:11 モーセが成人したころのこと、彼は同胞のところへ出て行き、彼らが重労働に服しているのを見た。そして一人のエジプト人が、同胞であるヘブライ人の一人を打っているのを見た。 2:12 モーセは辺りを見回し、だれもいないのを確かめると、そのエジプト人を打ち殺して死体を砂に埋めた。
 2:13 翌日、また出て行くと、今度はヘブライ人どうしが二人でけんかをしていた。モーセが、「どうして自分の仲間を殴るのか」と悪い方をたしなめると、 2:14 「誰がお前を我々の監督や裁判官にしたのか。お前はあのエジプト人を殺したように、このわたしを殺すつもりか」と言い返したので、モーセは恐れ、さてはあの事が知れたのかと思った。
 2:15 ファラオはこの事を聞き、モーセを殺そうと尋ね求めたが、モーセはファラオの手を逃れてミディアン地方にたどりつき、とある井戸の傍らに腰を下ろした。

新約聖書 使徒言行録5章
 5:33 これを聞いた者たちは激しく怒り、使徒たちを殺そうと考えた。
 5:34 ところが、民衆全体から尊敬されている律法の教師で、ファリサイ派に属するガマリエルという人が、議場に立って、使徒たちをしばらく外に出すように命じ、 5:35 それから、議員たちにこう言った。
 「イスラエルの人たち、あの者たちの取り扱いは慎重にしなさい。 5:36 以前にもテウダが、自分を何か偉い者のように言って立ち上がり、その数四百人くらいの男が彼に従ったことがあった。彼は殺され、従っていた者は皆散らされて、跡形もなくなった。 5:37 その後、住民登録の時、ガリラヤのユダが立ち上がり、民衆を率いて反乱を起こしたが、彼も滅び、つき従った者も皆、ちりぢりにさせられた。
 5:38 そこで今、申し上げたい。あの者たちから手を引きなさい。ほうっておくがよい。あの計画や行動が人間から出たものなら、自滅するだろうし、 5:39 神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない。もしかしたら、諸君は神に逆らう者となるかもしれないのだ。」
 一同はこの意見に従い、 5:40 使徒たちを呼び入れて鞭で打ち、イエスの名によって話してはならないと命じたうえ、釈放した。
 5:41 それで使徒たちは、イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜び、最高法院から出て行き、 5:42 毎日、神殿の境内や家々で絶えず教え、メシア・イエスについて福音を告げ知らせていた。


 「ああいう思い、ああいう生き方が人間から出たものなら自滅するだろうし、もし神から出ているものであれば、彼らを滅ぼすことはできません。まかり間違っても、神への反逆者になっていたということに、ならないで下さい。」 (本田哲郎訳)

 モーセは若い頃、労働現場で同胞のユダヤ人がエジプト人からひどい扱いを受けているのを知り、同胞愛と正義感からエジプト人を殴り殺して死体を埋めてします。
 ところが皮肉なことに、同胞に目撃されていたのです。モーセは処罰を逃れるため遠いミデアンに旅立ちます。
 この物語から二つの真理を見いだします。一つは、感情的な正義はひどい罪を犯すということ。にもかかわらず、神はモーセをミデアンに逃し、そこで召命の時までさまざまな訓練をしたということです。

 「神から出たものなら、彼らを滅ぼすことはできない」という真理は、立場を代えれば「神が見方であるなら、誰が私たちに敵対できようか(ローマ8:31)パウロの言葉」という勝利の保証でもあります。
 ガマリエルは「ファリサイ派の律法教師」です。当時ファリサイ派は二つの学派に分かれていました。その代表はラビ・シャンマイとラビ・ヒレルです。シャンマイ派はとにかく律法に厳格、融通が利かないゴチゴチ頭。ヒレル派は非常に寛大で建前ではなく律法の精神を日常に生かそうとしました。
 ガマリエルはヒレルの愛弟子です。そのガマリエルの愛弟子が、後のパウロです。若きパウロはシャンマイ派であるかのようなガチガチの律法主義者だったのですから、人生は分からないものです。
 ガマリエルは「使徒たち」を退室させて事柄を慎重に扱うよう勧告し、その頃起こった革命運動やテロリストたちを例に挙げ、今彼らはどうなったか問います。そして「あの者たちから手を引きなさい。放っておくがよい」と方法を示します。
 彼の真意は「あれほど禁止し、捕縛して牢に入れてもなお、口をふさぐことがない」熱心さはどこから来ているのか。「もし人間からなら」やがて廃れる。しかし「神から出たものなら」どうなるか。元の表現では「神から出たものなのだから」を意味しています。
 歴史とは、人間の思いや行動、栄枯盛衰、神を求め神に背いてきた足跡です。
 神がいるならどうしてこうなんだ、と言いたい人の気持ちも分かります。けれども、心を静めて現実を観察するならば、赦しと恵みに囲まれていることが分かるはずです。
 神の赦しと祝福の言葉はすぐ隣、目の前にあり、神の愛は誰にでも注がれているのです。

2015年2月7日土曜日

2015.2/ 2 救いの原点

旧約聖書 出エジプト記1章
1:15 エジプト王は二人のヘブライ人の助産婦に命じた。一人はシフラといい、もう一人はプアといった。 1:16 「お前たちがヘブライ人の女の出産を助けるときには、子供の性別を確かめ、男の子ならば殺し、女の子ならば生かしておけ。」 1:17 助産婦はいずれも神を畏れていたので、エジプト王が命じたとおりにはせず、男の子も生かしておいた。
 1:18 エジプト王は彼女たちを呼びつけて問いただした。「どうしてこのようなことをしたのだ。お前たちは男の子を生かしているではないか。」 1:19 助産婦はファラオに答えた。「ヘブライ人の女はエジプト人の女性とは違います。彼女たちは丈夫で、助産婦が行く前に産んでしまうのです。」
 1:20 神はこの助産婦たちに恵みを与えられた。民は数を増し、甚だ強くなった。 1:21 助産婦たちは神を畏れていたので、神は彼女たちにも子宝を恵まれた。
 1:22 ファラオは全国民に命じた。「生まれた男の子は、一人残らずナイル川にほうり込め。女の子は皆、生かしておけ。」

新約聖書 使徒言行録5章
5:27 彼らが使徒たちを引いて来て最高法院の中に立たせると、大祭司が尋問した。 5:28 「あの名によって教えてはならないと、厳しく命じておいたではないか。それなのに、お前たちはエルサレム中に自分の教えを広め、あの男の血を流した責任を我々に負わせようとしている。」
 5:29 ペトロとほかの使徒たちは答えた。「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません。 5:30 わたしたちの先祖の神は、あなたがたが木につけて殺したイエスを復活させられました。 5:31 神はイスラエルを悔い改めさせ、その罪を赦すために、この方を導き手とし、救い主として、御自分の右に上げられました。 5:32 わたしたちはこの事実の証人であり、また、神が御自分に従う人々にお与えになった聖霊も、このことを証ししておられます。」
 5:33 これを聞いた者たちは激しく怒り、使徒たちを殺そうと考えた。

「人間によりも神に従順でなければなりません。あなたがたが手を下して木にはりつけにしたイエスを、わたしたちの父祖の神は、立ち上がらせてくださいました。」(本田哲郎訳)
 カインがアベルを殴り殺したことが創世記4章にあります。神がカインに「アベルはどこか」と尋ねると、カインは「知りません、私は弟の番人でしょうか」と皮肉っぽく話をそらしてしまいます。
 英語でresponsible for は応答することですが、カインは神の問いに応えようとせず、抑えきれない感情で行動しました。
 もし、カインが「罪が戸口で待ち伏せしてお前を求める。お前はそれを支配せねばならない」と、なぜ言われるのか考える余裕があったなら、アベルへ抱いている嫉妬と殺意の心を自覚して、気持ちをコントロールできたかも知れません。神の言葉に注意を払わなかった結果、カインは人殺しという大きな罪を犯してしまったのです。
 一方、神を畏れない人は人殺しも平気です。モーセが生まれる前、エジプト王は「ユダヤ人に男児が生まれればナイル川に捨て、女児なら生かしておけ」と命じます。世間が王を怖れて従う中で、神を畏れ、王の厳命に反して命を救う人がいたのです。
 何百万人というユダヤ人をアウシュヴィッツ絶滅収容所へ送り込んだアイヒマンという将校が大戦後にイスラエルの裁判所で尋問された時「わたしは上官の命令に従った一官僚に過ぎず、ユダヤ人の死に責任はない」と主張しました。軍人や政治家が裁かれる時は同じような責任逃れをします。しかし神は「血の責任を必ず問う(創9:5)」と言われます。血を流した責任は誰が負わねばなりません。
 さて、ペトロたちは早朝からイエス復活の説教をしていました。前の日「その説教は二度とするな」と投獄されたのですが、夜中に天使が牢から助け出して「この命の言葉を残らず民衆に告げなさい」と命じたからでした。大祭司たちの「説教禁止」と天使の「命の言葉を残らず告げよ」のどちらに従うかは、命がけの決断であり、神への信頼しだいです。
 大祭司たちはイエスを殺した「血の責任」が責められていると受け取りましたが、むしろペトロは、イエスを裏切った臆病者だったが、復活されたイエスに赦されて立ち直っただけでなく、天使にも助けられ、証言しないではいられなかったのです。素直になって悔い改め(方向転換して)イエスに赦しを乞い、救い主と信じて命を受けなさい、と議会の重鎮たちを招いているかのようです。
 「神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、世を救うため。御子を信じる人は裁かれない。信じない人は既に裁かれている」とヨハネ3章に記されている通りです。
 復活のイエスは、救い主として、聖霊として私たちに臨み、イエスを信じて新しい命に生きるられるように助けて下さいます。日々新しく信仰を始めましょう。