2015年6月28日日曜日

2015.6/28 新しく見えてくること 教会創立記念日


(ヨブ記42:1-6、使徒9:19b-22)
 サウロは数日の間、ダマスコにいる弟子たちと共にいて、すぐに諸会堂で、イエスのことを「この方こそ神の子である」と宣べ伝えた。これを聞いた人々は皆あっけにとられた。(岩波訳 9:19b-22から)
 きょう、私たちは教会創立24周年を迎え、幼子からお年寄りまで神の家族として礼拝しています。血のつながらない人々が神に招かれて家族となれたことは奇跡です。
 もし、ある時代にある人が「神のことばに圧倒されて」人生が変わらなかったなら、松本教会も筑摩野教会もなかったに違いありません。その一人はサウロであり、名も知られない一人のクリスチャンであり、宣教師であり、私たち一人一人なのです。
 バプテスマを受けたサウロは、聖霊に満たされて新しい人になりました。あれほど激しくイエスを否定し、信じる人を憎んだのに、自分がイエスに赦されたことを肌で感じました。アナニヤやダマスコの信者たちが「兄弟」として接してくれたからです。
 これまで誰よりも熱心に神の命令を守り、神に逆らう人を許さず、氏素性にプライドをもっていたサウロでしたが、どこかで神を恐れていました。律法違反や神に罰せられることはないかと。監視の目を自分にも向けていたサウロは、悔い改めて罪を赦された(神の愛に戻る)ことが、どんなに素晴らしいか、はっきり分かったのです。
 神の赦しを確信したサウロは早速、安息日(土曜)に会堂へ出かけて証をしました。「イエスさまは、こんな私をすっかり赦して下さった。この方こそ、神の子です」と。
 面食らったのは居合わせたユダヤ人です。「あの男は、つい先頃までイエスを呪い、信者たちを捕まえるのにやっきになっていた張本人ではないか。それが手のひらを返したように、イエスが救い主だと論じている」
 しかし、幼いときからしっかりと聖書を学び、ガマリエル門下生として修行したサウロの話には説得力がありました。素直に聞く人にはサウロの話は、真実だと分かったのです。
 けれどもサウロは古い仲間にとって裏切り者になったのです。サウロの伝道は苦労の連続でした。行く先々で彼の証を受け入れて救われる人がある一方で、どこまでも自分たちの言い伝えや伝統に縛られてサウロを殺そうとする勢力がいました。
 「私の名のためにどんなに苦しまなければならないか」とイエスさまは常にそばにいてパウロとくびきを担ったのです。
 けれども、神の言葉は閉じ込められたりしません。自由な霊はサウロに力を与え、世界中に伝道者を送り出し。そして日本にも、この松本にも、そして私たちに。

 140年程前、一青年が横浜に出て行きました。彼はアメリカの宣教師に出会い、福音を伝えられて入信します。松本に来て聖書販売のかたわら伝道を始めました。
 明治初期のキリスト教週刊雑誌「七一雑報」に「(**)河邨天授、コルレルの講義を聴く。・・・・大いに感発し・・・・志を抱いて松本に帰り・・・・」そのコーレル宣教師の報告書には「私の横浜のバイブルクラスのメンバーで、先ごろ郷里の信州松本に帰った男(**)から、1877年の初秋、手紙が届き、松本に来てほしいと懇願された。故郷で伝道を試みたが自分の非力を感じ、応援を求めた。」とあります。(**)は、ある記録には長沢弥左衛門、別の記録には原田弥右衛門、1926年の教会報には長沢弥右衛門。(**)本当は誰?
 「七一雑報」にある河邨天授こそ、1878年創立の松本教会で初代牧師となった人です。
 私たちも、いま教会に来て礼拝している。イエスを主と信じるようにされた。でも、最初にイエスさまを紹介してくれたのは誰?最初に教会へ誘ってくれたのは誰?最初に私のために祈ってくれたのは誰?かけがえのない、その一人の人が誰だったのか正確に思い出せない人は多いのではないでしょうか。

 私たちの伝道所は、それから百年後の1978年、松本市南部への伝道が幻として与えられた松本教会が、13年間も北原町でクリスマス会、子ども会や聖書を読む会を続けて、ついに、1991年4月に12人の信徒が志願して最初の会員になり、礼拝が始まったのです。
 聖霊の風が吹いています。心の窓を開いて、イエスさまの聖霊を迎え入れましょう。

2015年6月26日金曜日

2015.6/21 見えなくされ、見えるようになる

 (ヨブ記38:1-6、使徒言行録9:10-19a)
 「兄弟サウロよ、主がわたしを遣わされたのです。あなたがここに来る途上で、あなたに現れた、あのイエスが。それは、あなたが再び見えるようになり、また聖霊に満たされるためなのです。(岩波訳 使徒言行録9:10-19a)
 「あなたの敵を愛しなさい」主イエスの生き方、従う人への命令です。しかしアナニアは訴えます。「主よ、私はこの男について多くの人から聞きました。彼がエルサレムであなたの聖徒たちにどんな害を加えたか」それでも主は命じます。「行け」と。
 17日の夜、米南部チャールストンの黒人教会で起きた悲劇。21歳の誕生日に父からプレゼントされたピストルで、聖書を学んでいた牧師と信徒9名を撃ち殺した白人。19日の裁判では「あなたを赦します」と何人かの遺族が呼びかけました。信仰なしには「美談・茶番」に映るかも知れません。肉親を無残に殺されて犯人を赦せるものでしょうか。ある遺族は「神が彼を救済することを願う」とも言っていました。
 ヘイトクライム(憎悪犯罪)は感染力の強い病気です。相手への恐れと不安な心が虚言と憎しみの連鎖を引き起こします。始末が悪いことに「自分は正しいことをしている」という確信犯なのです。「愛は多くの罪を覆う(1ペトロ4:8)」と示されているように「信仰による赦し」だけが、傷ついた双方の魂を癒やす可能性を持っています。
 さて、すでに仲間のユダはサウロたちを家に迎えていました。アナニアは着くやいなや「兄弟サウル、主イエスが私をよこしました。見えるようになり聖霊を受けよ」と手を置いて祈りました。するとサウロの「目から鱗」のようなものが落ちました。
 目から鱗の喩えはここからきています。ものの見方が正反対になって得る認識です。サウロは強い光に打たれ伏し、見えなくなり、絶望の中でもがき祈りました。誰よりも律法に従い、誰よりも正(義)しい人間として神に認められるはずが、なぜこんな目に遭うのか。三日間、神は答えてくれませんでした。しかしアナニヤはこうも言ったのです。「私たちの先祖の神が、お前を選んだのだ。それは御心を悟らせ、あの正しい方に会わせて、その口からの声を聞かせ、証人となるためだ。(22:14-16)」と。
 家柄、教育、律法遵守の熱心さを自負していた頃のサウロ(22:3-5)は、イエスに従えなかった真面目な金持ち(ルカ18:18-30)と似ています。あれもこれも持っているし守っている。なのに決定的な何かが足りないという不安。あるいは反対に「あの人にはあれもこれもあるのに、どうして私には何もないのか」という不満。
 そのような「足りない、情けない」という不安や不満は、立場の違う人への敵意となりやすいのです。「目から鱗」の経験が思いがけないところに用意されています。
 子どものような心で神の国を求めて招きに応える。これなら家柄も教育も健康にも関係なく、神の子になれるのです。

2015年6月15日月曜日

2015.6/14 子どもも大人も一緒に

 (サムエル記上3:1-9、マルコ10:13-16)
 「アーメン、あなたたちに言う。神の王国を子どもが受け取るように受け取らない者は、決してその中に入ることはない。」 そして彼(イエス)は、子どもたちを両腕に抱きかかえたあと、彼らに両手を置いて深く祝福する。(岩波訳 使徒言行録9:15-16)
 6月第2日曜を「花の日・こどもの日」として守っています。母の日と同様に北米の宣教師によって伝えられた意義ある行事ですが、最近はあまり知られていません。
 誰にでも「子ども時代」があります。赤ちゃん、乳児、幼児、少年時代色々ですが、大人になって思い出せるのは、せいぜい物心ついてからの出来事かも知れません。
 しかし、思い出せない時期の毎日の経験こそ、大切ではないでしょうか。家族とどのように過ごし、褒められたり叱られたり、笑ったり泣いたりしたか。反対に親の考えや都合に振り回されて、自由に遊べなかったり放置(ネグレクト)されたり。
 150年程前、米国東部のメソヂスト教会で、会堂を花で飾って子どもを真ん中に迎えた祝福礼拝を始めました。親には神の恵みと戒めの下で養育するよう勧めたのです。
 その頃、ヨーロッパもアメリカも経済成長のまっさ中で、子どもが働き手として期待され、家族が一緒にいる時間は失われ、信仰を軽んじる風潮が拡がっていました。
 イエスの時代も、子どもの立場は今とそんなに違わなかったようです。男に生まれるか、女に生まれるかは決定的でした。さらに職業の違いや貧富の差、健康か病気か、神の掟を守っているか守っていない(守る余裕がない)か。
 イエスは村々を回りながら、毎日のように病気を癒やし、教え、忙しい毎日でした。ある日、子どもを連れた人々がイエスの周りに集まってきました。父親や母親たちはわが子のために、手を置いて祈って欲しいと願ったのです。
 手を置くという動作は、神さまの恵みがあるようにという祝福のしるしです。次から次へと親子が近づいてきて大変なさわぎです。
 これを見た弟子は、この人たちを追い払い始めました。
「先生はお疲れだ。お前たちにかまっている暇はない」と考えたのでしょう。その時、大きな声がしました。イエスさまが本気で怒ったのです。
 「この子たちを私のところに来るままにさせておけ。邪魔をするな。なぜなら、神の王国はこのような者たちのものだからだ」
 ひどく叱られて、本当にびっくりした弟子たちですが、この出来事は忘れられない記憶になりました。イエスの懐に真っ直ぐに飛び込む、子どものような、この親子のような求めをイエスは喜ばれます。今日も一緒に祝福を求めましょう。

2015.6/7 古いものが壊れるとき

 (エレミヤ書18:1-6、使徒言行録9:1-9)
 サウロは立ち上がって、目を開けたが、何も見えなくなっていた。同行の人たちが、彼の手を引いて、ダマスコまで連れて行った。サウロは見えないまま三日間、食べも飲みもしなかった。(本田哲郎訳:使徒言行録9:8-9)
 一人の青年がいました。「サウロはステファノの殺害に賛成し・・・サウロは家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢へ送り(8:1-3)」「サウロは、なおも主の弟子たちを脅迫し殺そうと・・ この道に従う者を見つけ出したら男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行する(9:1-2)」ひどい人物の印象を受けます。
 ステファノが怒り狂う民衆に殺された時、サウロは乱暴者の脱ぎ捨てた上着の番をしていました。先祖から伝えられた信仰を純粋に信じて、何よりも神殿と律法を大事にしてきたサウロにとって、勢いを増して各地に拡がった「ナザレのイエス派」の教えは、人々の心を惑わす危険な教えだと考えていました。「木に架けられて」呪われたイエスを「神の子」だの「救い主」だのと宣伝されることに我慢がならず、何よりも神を汚す教えとして、叩きつぶさねばならないと使命感に燃えていたのです。
 エルサレムから逃げ出した信者たちが、サマリアよりもっと遠い(230㎞)ダマスコで増えていると聞いたサウロは、信者を逮捕し連行する役を買って出て、逮捕状を持って、血気さかんな仲間と一緒に、ダマスコに向かいました。その途上の出来事です。
 長い旅も終わりに近づき、もうすぐダマスコ、という時。サウロたちは天からの強烈な光に照らされて地面に叩きつけられました。焼け付く真昼の太陽より何倍もまぶしい光の中で、サウロは不思議な声を聞きました。「サウル(シャーウール)、サウル。なぜわたしを迫害するのか」「そうおっしゃるあなたはどなたですか?」「わたしはあなたが迫害しているイエスだ」信じられない。あのイエスという男は確かに死んだのだから。それとも、よみがえったという噂は本当だったのか。一瞬の間にいろいろと頭を巡りました。その時、仲間にはただ「意味の分からない声」が聞こえただけでした。
 「起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる」サウロは地面から立ち上がり、目を開けましたが何も見えません。サウロだけが見えないのです。仲間の手に引かれて、やっとダマスコの町に辿り着きました。それからの3日間は、とても苦しい日々でした。今まで信じてきたことが確かでなくなり、何も食べず何も飲まず、自分の身に起こった出来事を思い巡らしました。かつて目の前で祈りながら死んでいったステファノの最期がまぶたの裏に映りました。自分たちを呪ってはいなかった。かえって「彼らの罪をお赦し下さい」と神に赦しを祈っていたのだと。

2015.5/31 聖霊がなすままに

(サムエル記下7:1-10、使徒7:44-53)
 交換講壇・波田教会での説教要旨
 先週私たちは、今年のペンテコステを祝いました。祈りの家である教会に集まり、いにしえのペンテコステを思い、一人を救うために神は一人遣わして神の民として受け入れて下さることを学びました。聖霊はペンテコステで初めて登場するのではなく、創造の初めから神の業としてずっと働いておられます。
 モーセの時代(前13世紀頃)人々は「証しの幕屋」に出向いて礼拝し(出エジプト25章以下)ダビデの時代(前10世紀)も「神の箱」は幕屋(テント)の中にありました。
 ダビデは神が未だにテント暮らしでは申し訳ないと立派な神殿を建てる決心をしました。けれども、神はそんなことは望んでいなかったのです。神殿を実現したのはソロモン王でした。
 テント時代と神殿時代の大きな違いが聖書のいたるところに描かれています。宇宙を創造された神は人間の手による「家」に収まるはずはありません。そこは共通しています。
 決定的な違いは、「あって、ある者」「超越的な自由者」である神の前での人間の態度でした。
 モーセ時代も、ダビデ時代も神の前に人間は赤裸々でした。神の命令や意思に逆らうとき、人間は打ちのめされ、滅びの瀬戸際まで追いやられています。そこではじめて悔い改め、最初からやり直す謙虚さがありました。またささげ物をするときにはありったけの感謝を込めてしていました。
 ソロモン王は確かに世界屈指の贅沢な神殿を建てましたが、民の強制徴用と属国からの貢ぎ物によってでした。不思議なことに詩篇はともかく、歴史書に賢者ソロモンが神の前に悔い改めたという場面が見当たりません。
 晩年のソロモン王は意外にも、みじめでした。神自ら二度も現れて信仰に立ち帰るように戒めましたが無駄でした。信仰を受け継がなかったレハブアムはもっと哀れです。父を支えた忠臣の嘆願にもかかわらず、甘やかされ傲慢に育った仲間と共に、王国を分裂と破滅へ向かわせてしまったからです。それが聖霊に逆らうということです。
 今、筑摩野教会は大きな仕事をしようとしています。実質10人前後の会員でその責任を負うことは無謀に思えます。しかし、二月から祈るように導かれ、祈りの中で大きな決心を与えられ、一緒に携わる人が会員以外にも次々と与えられています。
 「恐れるな、小さな群れよ」「求めなさい。そうすれば与えられる」「天の父は求める者には聖霊を与えて下さる」実感です。