2015年9月28日月曜日

2015.9/27 嘆きが大きな喜びに

◆(列王下4:32-37、使徒言行録9:36-43)
 彼女はいつも親身になってかかわる人で、痛みを知って分かち合う人だった。
 (本田哲郎訳 使徒9:36)
 タビタは女弟子として「善い行いや施し」に励みました。「人にしてもらいたいことを人にもしなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすればたくさんの報いがあり、いと高き方の子となる(ルカ6:27-36)」と言われたイエスの言葉を実行し、とりわけ未亡人に尽くした人として紹介されています。
 9章には3つの「驚くべき事」が記されています。イエスを信じる人々を滅ぼそうとしたサウロが回心して伝道者となったこと。ペトロにより中風の人が元気になったこと。死人が生き返ったことです。イエス(の霊、名)によって人は、驚くべき奇跡の当事者になる、という話です。
 タビタのような人が教会にいる。それは素晴らしいことですが、愛すべき人と言えども、必ず死ぬ時がやってくるのです。教会の仲間は遺体を洗い、屋上の間に寝かせました。その後で香油を塗り亜麻布で包んで葬るのです。ところが近くの町リダにペトロ先生が滞在されていると聞いて「弟子たち」は、急いで二人を使いに出しました。
 ペトロが到着すると、かの未亡人たちがタビタがどんなに善い人だったかを泣きながら訴えました。しかし、それは思い出に過ぎないのです。
 意外なことにペトロは皆を追い出して一人になり、跪いて祈りました。奇跡の経験は何度もあります。しかし今回は特別です。死んでいるのです。ペトロはひざまづいて(これは礼拝の姿勢です)神の答えを待ちました。そして遺体に向かい「タビタ、起きなさい」と呼びかけました。
 かけがえのない人が亡くなると、悲しみと同時に、不思議な怒りを感じるものです。この死は理不尽である。この人だけは生かして欲しい、死んでいいはずがないと。
 アルフォンス・デーケンという上智大学の先生が「よく生き、よく笑い、よき死と出会う」という本で、思春期の衝撃的で悲しい出来事を振り返り、それらが「死生学」を志す遠因になったと語ります。4歳の妹の死。連合軍の戦闘機に狙われ九死に一生を得たこと。ドイツの敗戦が決定的になったころ、家を接収しにきた連合軍兵士を白旗で迎えに出た祖父が突然彼らに銃撃されて死んだこと。敬虔なカトリックの家に生まれ「汝の敵を愛せ」という教えで育ったアルフォンス少年の信条が打ち砕かれます。けれども短い時間とはいえ悩み抜き、祖父を殺した兵士たちに「ウェルカム」と手を差し出して家に迎え入れたのです。
 死に向き合い、死の深い意味を求めるとき、突然、生かされている意味が示され、しみじみとした喜びに浸ることが出来るのです。

2015年9月25日金曜日

2015.9/20 今日、生かされている

(イザヤ38:16-20、使徒言行録9:32-35)
 命ある者、命ある者のみが、今日の、わたしのようにあなたに感謝し、父は子に、あなたのまことを知らせるのです。(イザヤ38:19)
 何年も床から出られない生活は、若かろうと、年老いていようと残酷な現実です。アイネアは「中風で8年前から」とあるので、他人の手を借りなければ食べることも排泄もままならなかったに違いありません。8年前とは8歳の時からとも解釈できる表現です。
 巡回伝道中のペトロはリダという街道町でクリスチャンの群れの中に彼を見つけました。この時、誰も「治して欲しい」とは言っていませんが、ペトロはいきなり「アイネア、イエス・キリストが癒やして下さる。起きなさい」と声を掛けました。すると、彼は言葉通り、起き上がったのでした。
 「聖書は良いことが書いてあるが、奇跡の話は嘘っぽい」と言う人がいます。奇跡の話は難しい箇所です。素直に信じる人には生きる力になりますが、説教では説明でお茶を濁し、受け入れやすい話にすり替えてしまう誘惑があります。
 アイネアは何年も前から病床でイエスさまの噂、メッセージを伝え聞いていたに違いありません。私たちはもっと詳しくイエス・キリストの知識を持っているはずです。ところが、大きな夢、弱点やこだわりから開放されたいという思いがありながら、イエスの言葉や出来事は「知識」に留まり、なかなか現実になっていません。
 ペトロが「アイネアよ」と直接呼びかけたように、イエスさまの聖霊が「・・よ」と語りかけて下さる時(その音にならない語りかけを聴く準備は必要)聴き逃さないで「主よ、聴きます。従います」と真実に答えられるなら、現実は変わります。
 今、「デボーション」を学びながら「みことば」を聴く訓練を数人で受けています。「この私への語りかけ」として以前よりずっと聖書が近くなり、はっきりと聴けるようになるに違いありません。そう、期待しています。
 アイネアは家族や隣人の世話なしには生活できない身体でしたが、愛されていた人です。病床でも、みことばを受け止められる素直な心が育まれていたのです。
 アイネアはその名が「称賛、讃美」である意味が今日、分かりました。「今日、主に生かされている」。この現実を見たからこそ「人々は皆主に立ち帰った」のです。

2015年9月17日木曜日

2015.9/13 祝福への招き

◎ヤコブの息子たちよ、集まって耳を傾けよ。お前たちの父イスラエルに耳を傾けよ。父は彼らを、各々にふさわしい祝福をもって祝福したのである。(創世記48:2,28)
◎私の言葉を聞いているあなた方に言う。敵を愛し、あなた方を憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、侮辱する者のために祈りなさい。(ルカ6:27-28)
交換講壇だったので、島津牧師の松本教会での説教を記録
(創世記49:28、ルカ6:27-28)
 初めて松本教会と筑摩野教会で同じ「みことば」「讃美歌」による礼拝をしています。もちろん相談はしましたが、聖霊による一致を祈り求めてのことです。
 さて、私たちは必ずいつの日か死にます。不吉な話題でしょうか。「死を覚えよ」に従うなら一日一日が奇跡です。あと10年生きられれば3650日、87600時間あります。たったそれだけと焦るか、まだそんなにと感謝して奇跡の日々を生きるか、人それぞれです。
 主イエスはご自身が神を「アバ=父」と呼び「アブラハム・イサク・ヤコブの神」「生きている者たちの神」と教えて、神との交わりが人生を決めると教えられました。創世記のこの3人は神から祝福を頂き、祝福を子に手渡してきた代表です。
 創世記の終わりに、不思議で美しい祝福の場面があります。多くの苦難を味わい、エジプトで晩年を過ごしたヤコブは、ヨセフの子2人を養子にして「祝福」を与えます。
 ヨセフは当然長男のマナセが長子の特権を授かると考えて父の右手(力の象徴)側にマナセを立たせます。ところが父は腕を交差させ、エフライムに右手を、マナセに左手を置いて祝福の祈りをしました。
 かつてヤコブ自身、母リベカの計画に従い、目がかすんだ父イサクを欺き「長子の祝福」を奪いました。それは兄エサウとの確執と多くの苦難の始まりとなりましたが、歴史を導く神の深い計画によるものでした。
 臨終の床で12人の息子に与えられた「祝福」は驚きです。ユダとヨセフ以外の10人への言葉は、とても祝福とは思えない、むしろ裁きと呪いです。
 ところが、28節には「これは彼らの父が語り、祝福した言葉である。父は彼らを各々に相応しい祝福をもって祝福したのである」と締めくくられています。確かにこれらも祝福なのです。
 祝福とは何でしょうか。「旧約聖書において祝福するという動詞は、救済に満ちた力を付与する」とあります。
 最初は祝福の範囲は家族でした。しかし、アブラハムが「すべての民の祝福の源となる」と約束され、イサク、ヤコブへと受け継がれ、ついにイエスにより「永遠の命」という祝福への道が信じる人、全てにひらかれたのです。
 主イエスの言葉を聴き、真に受けるなら皆「祝福された」人です。「幸いなるかな・・・人よ。災いなるかな・・・人よ」イエスは決定的な「祝福」を約束されました。
 「敵を愛し、憎む者に親切を、呪う者に祝福を祈れ」この祝福に私たち、一人一人が招かれています。

2015.9/6 確かな基礎の上に

(ゼカリヤ書8:1-13、使徒言行録9:31)
 万軍の主はこう言われる。勇気を出せ。あなた方は万軍の主の家である神殿を建てるための礎が据えられた日以来、預言者たちの口からこれらの言葉を聞いているではないか。
(ゼカリヤ書8:9)
 いよいよ西隣の住宅が完成します。かつて焼き芋大会をした所に立派な家が建ちました。更地からコンクリートの基礎打ち、組み立て、建前、庭造りまで毎日の変化を見てきましたが、最近は早く建ちますね。幼い頃、老練な棟梁の隣に住んでいたので、学校がおわるや帰宅し、夕飯まで飽きもせず、その仕事ぶりを眺めて過ごしました。
 棟梁は単なる大工ではありません。完成図はもちろん、想定外があっても対応できる豊富な知識が「頭の中」にあって、大工や職人をまとめて、家を完成させます。
 さて、旧約の最後にあるゼカリヤ書とハガイ書は、ネヘミヤ記やエズラ書と同時代に働いた人々の記録です。彼らは紀元前450年前後に、預言者.行政官.祭司.律法学者として「みことば」を取り次ぎ、神殿と城壁再建をとおしてイスラエルの信仰を目覚めさせました。
 70年間も放置され、わずかに礎石が残った神殿と、崩れ落ちた城壁を再建するのは不可能に思えました。しかも妨害工作が繰り返しあったのです。それでも彼らは辛抱強くイスラエルの民を励まし、時に怒り、確かな基礎の上に工事を完成させました。
 こんなジョークがあります。中世のパリでノートルダム・カテドラルを建てていたときの話です。三人の職人が汗を流して石組みをしていました。
 「あなたは何をしているのですか」とそれぞれに尋ねました。一人目は「重い石を運んでいます。とてもきつい仕事です」とぼやきました。二人目は「一生懸命働いています。家族(賃金)のためです」と答えました。三人目は「カテドラル(聖堂)を建てています」と胸を張りました。同じ現場で同じ仕事をしていても、目的はずいぶん違います。
 では、神殿を建てるとか「信仰を建てる」とはどういうことでしょうか。私たちが「みことば」に出会い、神の思いと目的が解き明かされた時、「これこそ私の役割」と受け止めて働くなら、これ以外の人生「生きがい・喜び」があるでしょうか。

2015.8/30 生涯の友と出会う

恐れるな、わたしはあなたをあがなう。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。(イザヤ43:1-5、使徒言行録9:26-31)
 隣国同士の政府や一部の思い込みの強い人々が非難し合い、危険な状態になることがあります。けれども、そこに少数ではあっても相手の立場を理解しようと行動する人、あえて言えば、神に導かれて平和を創り出すために召された人たちがいます。
 この夏、出会った孫信一(ソン・シニル)牧師は茨城で生まれ育った韓国人三世です。献身して母国に留学し、日本でも韓国でもなくチェコのプラハで「日本語礼拝」に心血を注いでいます。妻の閔梅羅(ミン・マエラ)さんは人を活かす才能に恵まれた積極的で明るい人です。
 さて、若きサウロは生粋のユダヤ教徒の愛国者でキリスト教を憎みました。教会を迫害し、どこまでも信徒を追いつめて逮捕する使命を信じていました。そのサウロが「回心」して突然、命をも惜しまないキリスト伝道者に変わったのです。後に教会が「かつて我々を迫害した者が、滅ぼそうとしていた信仰を、今は福音として告げ知らせている」と神を讃美したほどです。
 しかし「回心」直後はあまりにも鮮やかな変身ぶりに、「裏切り者」とか「スパイではないか」とユダヤ教からも教会からも疑いの目で見られました。普通なら、「ほとぼりが冷める」まで、じっとしているものです。ところがサウロはすぐさま伝道しました。それだけ「回心」は本物だったのです。
 この、どちらからも拒否された青年を「受け入れて」友となった人物がいました。バルナバです。4章36節で「慰めの子」と紹介され、何度も何度もサウロを助け、失敗した人のためにも労苦するのです。
 サウロが後のパウロとなるためにはダマスコのユダ、アナニヤ、エルサレムのバルナバを神は遣わされていますが、主人公でもなく有名になることもありません。
 パウロは晩年に「私を強くして下さることによって、どんなことでも出来る。それにしても、あなた方はよく私と困難を分け合ってくれました(フィリピ4:13,14)」と告白しています。その「あなた方」の一人に過ぎません。
 しかし、生涯の友とは「いつも一緒で気の合う仲間」ではなく、その人がいなければ今の自分はいない、めったに会うことさえなくても、神による真の友なのです。
 バルナバは「慰めの子」です。この慰めと訳された言葉は聖霊と同じ「共にいる、傍らにいる、励ます、弁護人」という意味です。
 真の友はキリストが差し向けて下さる聖霊の具体的な姿です。「行って、あなたも同じようにしなさい(ルカ10:37)」とイエスはおっしゃいました。友と出会うため行動するか、しないかは各人に任されています。

2015.8/23 ドレスデンの聖母教会を訪ねて

8月23日の主日礼拝は
塩尻アイオナ教会の横田幸子牧師を迎えて子どもと合同の礼拝をしました。詩篇8編から「おさなごは神を讃美している」
出席した5人の子どもたちに一人一人に相応しい言葉を選んで「こども祝福」をして下さいました。
T姉妹と二人の子どもたちが、アフリカのマラウィに移り住むことになったので、神の守りと導きをいのりつつ、愛餐会と壮行会をしました。

ということで、今週の「みことば」欄は、島津牧師の旅行記の続きを記します。

ドレスデン聖母教会を訪ねて
 60歳の誕生日、7/27にドイツのドレスデンにあるフラウエン(聖母)教会を訪ねた。18世紀初頭、ザクセン公国のフリードリッヒ・アウグスト1世は自身はカトリックであるにもかかわらず、都にルター派の大聖堂として建てることを許した。その礼拝堂構成は、祭壇・講壇・洗礼盤を信徒の真正面に配置したプロテスタントの特質をもつ画期的なものだった。冷戦終結後はザクセン福音ルター派州教会に属している。
 数年前にBS番組として紹介されたその教会の物語にとても興味をもった。爆撃でドイツのほとんどの工業都市は焼き尽くされドレスデンも例外ではなかった。
 聖母教会は1945年の2月13日の爆撃に耐えた。その地下聖堂に逃げ込んだ300人もの人々の命を守ったが、65万発の焼夷弾の熱によって外壁は1000度に達し、翌日に大崩壊した。
 戦後は同市が東ドイツに属していたため再建はままならず、1985年になって再建計画が持ち上がった。
 冷戦終結後の1989年から20カ国を超える国で聖母教会の再建が呼びかけられ、2005年10月30日に聖堂前のルター像が見守る中、献堂式が行われた。
 聖堂頂上の十字架はイギリス軍爆撃手の息子・金細工人アラン・スミスが、ドイツ生まれのアメリカ人生物学者(99年生理学・医学ノーベル賞受賞)ギュンター・ブローベルが基金を創設し、賞金の大半を寄付したことで知られている。ちなみに再建費用は1億8千万ユーロ(250億円)。
 再建を可能にしたのは、8500もの崩壊した石材に帳票が付けられ整理保管されていたこと、19世紀の修復時の詳細な資料が残されたこと、CG技術によってがれきの配置が再現されたこと、さまざまな要因がある。
 期せずして、還暦の誕生日パーティーをこの聖堂脇のレストランで開いてもらった。300年をへた上に爆撃で黒ずんだ石材と、新しい技術で補完された石材とが不思議なモザイクを描いている。聖堂をながめながら、和解とは何かをしみじみ味わった。
 今、日本周辺では「和解と協力」に程遠い雰囲気で満ちている。だからこそ私たちはキリストに倣って身を低くして「和解と奉仕」を見つけたい。心を開いて見渡せば、私たちを必要としている働きの場は身近にあるのだから。