◆主の道を行き、従え (申命記8:1-6、使徒20:1-6)新改訳↓
パウロは弟子たちを集めて励まし、別れを告げて、マケドニアへ向かって出発した。
エフェソを去る時、パウロは弟子たちを集めました。教会が成長すればするほど世の風当たりもサタンの攻撃も強くなり、困難が待ち受けていることを教え、その時こそ聖霊が強くして下るのだと教えて励ましたのです。後日のパウロの言葉によれば「何ら立場のない者という自覚をもって(本田訳)、涙を流しながらユダヤ人の迫害の中でユダヤ人とギリシャ人の区別なく、神への立ち返りと主イエスへの信頼を強く訴えてきた」3年でした。迫害は起こるべくして起こるから、一心に神とキリストを信頼して過ごすよう具体的に指示して励ましました。
さて、パウロは一人で伝道していたのではありません。アンティオケを出発する時、最初はバルナバとマルコが、2度目はシラスが同行しています。行く先々で協力者が与えられ弟子へと成長していきました。テモテ、エラスト、マケドニア人ガイオ、ベレアのソパトロ、テサロニケのアリスタルコとセクンド、デルベのガイオ、アジアのティキコとトロフィモ。彼らの消息は知られないものの、パウロの手紙に度々出てきます。そして「わたしたち:使徒言行録の著者で医者のルカ」が合流します。
3回目の伝道旅行はエフェソが終着点となりました。そこを出発してマケドニアとアカイアをまわり義援金を預かってエルサレムへ向かうのです。もう一つの目的は各地の教会と信徒を励ますことです。ちょっとでもチャンスがあれば訪問し、彼らの信仰を確かめ、励まし、慰めるのです。ここで<励ます>も<慰める>も同じ言葉です。
パウロ一行はペンテコステ(20:16)までにエルサレム到着をめざし船を探しますが、西風が吹くまで3ヶ月待たなければなりません。その間にアカイア地方を巡り歩いて「言葉を尽くして人々を励まし」ました。やっと出帆という時、陰謀を知ったので、(2コリント11:26~)陸路でフィリピへ向かい、そこでルカと再会。過越祭>除酵祭>復活祭を祝ってから海路で待ち合わせのトロアスに向かうことにしました。パウロは綿密に計画しつつ、先を急ぐときでもユダヤ人キリスト者として礼拝を守っていたのです。
人生が旅であるならば、ひどい目にも遭います。不運と嘆くか神の訓練と受け止めるかで全く違います。荒野を40年も迷走する旅で神はモーセを通して言いました。「こうして主はあなたを苦しめて試し・・人はパンだけで生きるのでなく、主の口から出る全ての言葉によって生きるのを知るため」の旅です。これこそが真の慰めです。
(ゼカリヤ書9:9-10、ルカ19:28-44)(本田哲郎訳)
そして、お前は・・・破壊されるのだ。
自分を見直す時をわきまえなかったからだ。
陸上400㍍ハードル日本記録を持つ為末大(ためすえだい)氏は2012年の引退後、東京オリンピック準備の組織で活躍してきたが「皆さん一生懸命なのは事実。でも、何に向かっているのか分からなかった」と言う。メダルを何個とるという目標に何が残るのかという疑問があったのだろう。
そして東京パラリンピック大会後に高齢者や障害者が活躍する社会ができるように、その基盤作りに力を注いでさまざまな活動をされている。1)自らの知名度が生かせる間に資金と雇用を作りだし、2)マラソン大学によってスポーツとは何かを子どもたちと考えたり、義足の開発などで障害、高齢者の社会参加を促し、3)支援というスローガンではなく、マイノリティーそれぞれが持っている価値やエネルギーを生かす社会にしようというもの。
イエスがエルサレムに入城されたとき、弟子たちも「主の名によって来られる方、王に祝福があるように・・」と誇らしげに叫んだ。しかし弟子たちも民衆もイエスの思いとはかけ離れた期待で胸を膨らませていた。
イエスがエルサレムに入城された様子は4つの福音書に記されていて、共通点も多いが異なる点もある。木の葉や枝、上着を道に敷いて歓呼して迎えたのは群衆だったとみえるが、ルカは弟子の群れがそのように迎えたと記している。この時まで大勢の弟子がいたことになる。この騒ぎに、「ラビ、弟子たちを叱って下さい」と注文が出た。それはイエスを伝統やしきたりを破壊する危険人物だとみなしたパリサイ人からだった。イエスは「もし、この人たちが黙れば、石が叫び出す」と警告をもって応えた。
イエスは「神に愛された都がその名の通りにだったら」とどんなに思っただろうか。エルサレム=平和の礎(神)という名にもかかわらず「エルサレム、エルサレム、預言者達を殺し、遣わされた人々を石で撃ち殺す者よ。めん鳥が雛を羽の下に集めるように、私はお前の子らを何度集めようとしたことか。だがお前たちは応じなかった(マタイマルコ)」と。
こうして裁きの時が来てしまう。紀元70年にエルサレムはティトゥス将軍により焼き払われて陥落し、マサダの砦に籠もった男も女も子どもも民族主義の犠牲になった。現在に至るまで争いの渦中にある都エルサレム。そして平和の主イエスを否む世界に。
しかし、神はイエス・キリストという神殿を打ち立て、信じる者は平和に生きよ、と招いて人々の中に住んで下さる。自らの愚かさを嘆いて十字架を見上げる人に、神の訪れを喜ぶ人々に中に。
(イザヤ書57:14-21、ルカ22:21-34)
わたしは、高く聖なる所に住み、
心砕かれて、へりくだった人と共に住む。
「おかわりぃ」子どもが幼かったとき、喜んで応えていた。今いい歳をした娘から「半分おかわり」と椀を突き出されると何で?と思う。三度の食卓で妻にさしたる感謝も示さない私が、そんな心境になるこの頃です。
食卓には交わりと教育という目的があると思います。食べることは肉体に欠かせませんが、食餌、孤食では空腹はしのげても心を温め、所属感を育むことはできません。
最近、各地に開かれている「子ども食堂」は家族関係や社会の孤立化という貧しさの中でひもじい思いをしている子どもを具体的に知っている方々の愛情から生まれたと思います。そして、主イエスがその交わりの中にきっといてくださると思います。
明日は十字架にかけられるという晩に、師であるイエスは、弟子たちと過越の食事をしました。過越は第一に奴隷から解放された歴史を魂に刻み祝う祭りです。その食事は子どもへ神の救いの歴史と信仰を継承し、友人を招いて同胞の結束を強める機会でもあるようです。
一方、食卓は宗教的に清めれるべきと考えるユダヤ人は、接客に際して、その家の僕が客人の足を洗う水を提供し、手を入念に洗ったようです。また、穢れとみなした人とは決して食事を一緒にしなかったのです。民のリーダーたちがわざとらしい清めの儀式を好み人を分け隔てしたのに対し、ヨハネ福音書13章には師であるイエス自らが弟子の足を、一人一人、祈りを込めて洗って下さる姿があります。
食事の終わりに、イエスは弟子の一人が裏切る(敵に引き渡す)腹を決めたと、はっきりと告げました。一体誰が?互いに顔を見合わせ、いつのまにか「誰が一番偉いか」と夢中になってしまった弟子たち。
あの時の弟子たちも、現代に物質豊かさのあふれた世界に生きる私たちも、いったいイエスに何を求めているのでしょうか。社会の醜さや不合理を嘆き、理想を求めて従った弟子もいたでしょう。イスカリオテのユダはそのタイプだったかも知れません。
「神の国は近づいた」というイエスの宣言は「異邦人の間では王が民を支配し、民の上に権力を振るう者が守護者と言われている。」そのような人間が互いに優位に立とうとして滅ぼし合っている時代の終わりを意味しているのではないでしょうか。
イエスの弟子たちがなりたかった「上に立つ者」とは古い人間像で、今でも主流です。有能・実力者という実績を示し、それが虚像とは自覚できないで追い求め演じ続けられる人のことです。イエスが実証したリーダーとは「いわば給仕のように」食卓を整えて仕え、他者の秘められた価値を見いだし、そうして生まれる連帯や共存を、互いに愛し合える関係にまで育む人です。
「あなた方の間ではそうであってはならない」「わたしはいわば給仕のように」という給仕という表現は「ディアコネオゥ:給仕する、執事」という教会を言い表すもう一つの表現です。